「自分の期待を消してみましょう」
今回のテーマは、仕事で新人教育を任されていた時の自分を振り返ることに繋がりました。当時、新人に期待を寄せることは当然であると踏まえていた私は、期待を寄せれば寄せるほどに新人との関係性がギクシャクすることに悩んでいました。そのような時に鈴木秀子先生の今回のテーマと言葉を知り、新人に期待することを諦めてみました。そして新人に期待を寄せることは、自分が新人にこうあって欲しいという理想や欲望を押し付けていただけだったことが分かりました。その気づきを得てから、新人とのギクシャクした関係性も解けてきたように思います。今回のわかちあい会で、自分中心の相手への期待は、相手を苦しめ、自分も苦しめることになることを改めて自覚しました。
相手に対する期待というのは、自分自身に対する思い込みを相手に対しても押し付けていることのように感じました。「~であるべきである」という思い込みを一度外してみることで、相手に対する見方も、そして自分自身に対しても、考え直すきっかけになると感じました。実生活のなかで、男性と女性の考え方の違いを改めて感じていたなか、今回は参加7人中、男性6人女性1人という人数比で、そんな機会に、男性、女性の考え方に触れることが出来て自分の考え方が男性のトラワレ的考え方だと認識できたような気がします。
だから直していくとかではなく、自分の考えがそういうものだということがわかってよかったと思っています。
受講生の声一覧
2021年
わかちあい会
「自分の期待を消してみましょう」
今回のテーマは、仕事で新人教育を任されていた時の自分を振り返ることに繋がりました。当時、新人に期待を寄せることは当然であると踏まえていた私は、期待を寄せれば寄せるほどに新人との関係性がギクシャクすることに悩んでいました。そのような時に鈴木秀子先生の今回のテーマと言葉を知り、新人に期待することを諦めてみました。そして新人に期待を寄せることは、自分が新人にこうあって欲しいという理想や欲望を押し付けていただけだったことが分かりました。その気づきを得てから
2021年
わかちあい会
「心の風向きに手をかざす」
好きか嫌いかとか、正しいか悪いかとか、そういう2択って実はとてもどうでもいいことなように思う。どうでもいいというか、私たちが生きている世界で、ものごとの考え方として「はい」か「いいえ」といった極端に分かれていないというか、「はい」の対極に本当に「いいえ」があるかというのも怪しい。でも、そうは言っても、よくわからないまま進むわけにもいかなくなって、とりあえず何かしらの枠組みにはめ込んで考えないといけない時もある。だけど、そうやってはめ込み続けていくと、どんどん安っぽくなるし、本来持っている温かみがなくなっていくような、そんな感じもする。時には突き放してみるのも大事だと思う。どっちが大切とかじゃない。そういう極端な考え方はやめたい。自分の好きか嫌いかを疑う必要はない。自分の感性を疑いだしたらどうしようもない。それより、なぜ好きなのか、なぜ嫌いなのかを考えた方が有意義だ。他者についてわかろうなんて、雲を掴むようなことだけど、この自分の感性についての深掘りは、誰にも邪魔されることのない、一番実態を握ることのできる行為だと思う。今回のわかちあい会でそんなことを考えました。
人に対してイライラしたりモヤモヤした時、落ち着いて自分の内側を探ってみると、知らず知らずに相手に対して期待しているものがあり、それは私の都合なのだなと気づきます。すべての人は自由にその人らしくあって、それはいいとか悪いとか言えるものでもないのですよね。目の前にいる人から何は受け取り、何は手放すのか・・・どんな立ち位置で相対するのか・・・それを決めるのは私自身。そして、その人との係わりの原点に立ち返りどうして係わりが生まれたのか、そもそもの理由から再出発すると、モヤモヤ、イライラに振り回されず、すっと進んでいけることもあると思いました。狭量で、人に対してちょっと違和感を持つともう付き合えないような感覚がありましたが、違和感はその人の一面であり、それ以外のところに目を向けることもできるし、なぜ違和感を持つのかを自分の中に探ってみることもできます。相手に執着しすぎることなく、自分の問題として受けとめ「さあ、私はどうする?」に対する選択肢をたくさん持てるようにしていきたいなと思いました。
ご一緒した皆さんが具体的な体験を通してのお話をわかちあってくださり、多くのものをいただいた時間でした。ありがとうございました。
「心の風向きに手をかざす」
好きか嫌いかとか、正しいか悪いかとか、そういう2択って実はとてもどうでもいいことなように思う。どうでもいいというか、私たちが生きている世界で、ものごとの考え方として「はい」か「いいえ」といった極端に分かれていないというか、「はい」の対極に本当に「いいえ」があるかというのも怪しい。でも、そうは言っても、よくわからないまま進むわけにもいかなくなって、とりあえず何かしらの枠組みにはめ込んで考えないといけない時もある。だけど、そうやってはめ込み続けていくと、どん
2021年
わかちあい会
「羊は羊でよし、馬は馬はでよし」
「人間は人間でよし、あなたは、あなたでよし」の言葉が心に深く残りました。自分を大切にして、愛して生きることは、他の人も大切にして生きることにつながり、お互いに幸せ
になるのだと確信しました。幸せな時間を出来るだけ持てるよう、これからも学びを深めていきたいと思います。また、空、山、大地など大きな自然とつながって、心豊かに生きていきたいです。
昨日、生徒が帰る時、さよならの前に私のところに来て、「ごめんなさい」と告げた。教師をしている私の言うことを聞かなかったことを、気にしての言葉だったのだ。私はちっとも思っていなかった。私の言うようにしなかったから、ダメだなんて。あー今そんな気持ち(やりたくない気持ち)なんだなと思っただけで、まさにあなたは、あなたでよし、だったのに。子供なりに悩んだんだなと思うと愛おしくなってしまう。「あなたはあなたでよし」「私は私でよし」私を認めることは、他のものも認めることにつながるということを、実感し今日の学びでさらに深く感じることができました。
いま、私に向かってくる言葉が、全て「あるがまま」という言葉です。私と他人を比べて湧き出る感情を認め、私自身を責めない、私自身が私に対して、無償の愛で、そのまま、あるがままで、いることを赦してあげることが出来たら、私も周りも平和そのものだと、心の底から思います。現実世界では、色々な事が起こりますが、心の土台にこの、「あるがまま」の軸を持ち続けていけば、自然に自ずと幸せな道が広がっていくように思います。少人数で、しっかり思いの丈を語る事が出来ました。ありがとうございました。
「羊は羊でよし、馬は馬はでよし」
「人間は人間でよし、あなたは、あなたでよし」の言葉が心に深く残りました。自分を大切にして、愛して生きることは、他の人も大切にして生きることにつながり、お互いに幸せ
になるのだと確信しました。幸せな時間を出来るだけ持てるよう、これからも学びを深めていきたいと思います。また、空、山、大地など大きな自然とつながって、心豊かに生きていきたいです。
昨日、生徒が帰る時、さよならの前に私のところに来て、「ごめんなさい」と告げた。教師をしている私の言
2021年
わかちあい会
「竹が節目を作る時」
瞑想の時アニメーターの読んだ言葉に思いを巡らせると、自分で乗り越えてきた節目は両親や、兄弟、友人達などに支えられて乗り越えてきたことにあらためて気づきました。コミュニオンとの出会いも節目の時期でした。皆さんの描かれた絵から、節目をありのままに受け入れ、成長する力強さを感じました。分かち合いのゆったりした時間の中で、コミュニオンのつながりの喜びがあり、豊かな嬉しいほっこりした時間を過ごしました。本当にありがとうございました。
「竹が節目を作る時」
瞑想の時アニメーターの読んだ言葉に思いを巡らせると、自分で乗り越えてきた節目は両親や、兄弟、友人達などに支えられて乗り越えてきたことにあらためて気づきました。コミュニオンとの出会いも節目の時期でした。皆さんの描かれた絵から、節目をありのままに受け入れ、成長する力強さを感じました。分かち合いのゆったりした時間の中で、コミュニオンのつながりの喜びがあり、豊かな嬉しいほっこりした時間を過ごしました。本当にありがとうございました。
2021年
わかちあい会
「答えはあなたの中にある」
自分の中に「大きな光源」を感じた。それは母親の「愛」と同じエネルギーと思えた。
「愛」「悟り」もののいのちを生かす。自分のこととして考えたら最後まで生きることと思いました。
「答えはあなたの中にある」
自分の中に「大きな光源」を感じた。それは母親の「愛」と同じエネルギーと思えた。
「愛」「悟り」もののいのちを生かす。自分のこととして考えたら最後まで生きることと思いました。
2021年
わかちあい会
「夕焼けの贈り物」
夕焼け空から射した天使の梯子。気にかかることがありながらも、素直に真っ直ぐ射したいくつかの光が心を明るく照らした。色んなことを普段から深く受け止めているからこそ、光が心に届きました。わだかまりを手放す時、太陽の光が現れるでしょう!
空を眺めて、流れる雲を見てみましょうと瞑想で言われました。いろいろな感情を自分の中から一度取り出して客観的に眺めて、流れるに任せたらいいのかと思いました。どれが正解ではなく、わかちあい、瞑想のなかで、皆さんとの繋がりを感じながら、安心。
けれども、あることで人を許せない自分がふと浮かんできました。絵を描いて、わかちあい「その気持ちが自分にあることを認めたらそれでよいのでは」、私の書いた色のついた雲を「ちゃんと覚えているよ、忘れなくていいよ」という感じだと言ってくださったりと、フィードバックに新たに気づきもいただきました。どれが正解ではなく、わかちあい、瞑想のなかで、皆さんとの繋がりを感じながら、安心して自分と対峙できることが素晴らしいのでしょうね。
わかちあい会が、「太陽の輝く」時になるのだと思いました。このテキストでは、人の人生において「太陽の輝き」は何を表しているかは書いていませんが、私は内面の輝きのことと捉えていますが、「人との繋がり」と表現された方がいらっしゃいました。そこにいろいろな捉え方があると気づかせていただきました。ありがとうございます。
北は北海道、南は九州からの参加者がいらしていると知って感動しました。私は日々慌ただしく過ごしているので、たまにこうして頭と心を静かにさせていただける時間を持てることはいいなあと感じました。準備してくださった方や当日お世話くださった皆さんに心からお礼申し上げます。
今日のテーマで「自分の否定的な感情」を思い知るようになるとは!それこそ思ってもみなかった。美しい夕焼けを思い描いて何か美しい思い出に思いを馳せることだろうとばかり思っていたのだ。私が描いたのは竹林の向こうにまさに沈もうとして赤くギラギラと燃えあがっている夕陽である。夕方の散歩の時によく見かける風景である。この真っ赤な太陽が私の怒りの象徴だったのだ。私は人から批判めいたことを聞くのが嫌い、私はいつも人から褒められていたい、とまるで幼児のような成長していないところがあるのが分かった。
経験した嫌なことを忘れようと思わないで心の中に「沈潜させ」、自分自身と向き合う努力をして行こうと誓いました。
「夕焼けの贈り物」
夕焼け空から射した天使の梯子。気にかかることがありながらも、素直に真っ直ぐ射したいくつかの光が心を明るく照らした。色んなことを普段から深く受け止めているからこそ、光が心に届きました。わだかまりを手放す時、太陽の光が現れるでしょう!
空を眺めて、流れる雲を見てみましょうと瞑想で言われました。いろいろな感情を自分の中から一度取り出して客観的に眺めて、流れるに任せたらいいのかと思いました。どれが正解ではなく、わかちあい、瞑想のなかで、皆さんとの繋がりを感じながら
2021年
わかちあい会
「自分の人生を自分でみずみずしく」
このコミュニオンに参加することも、最初の一歩は、平凡じゃなかった気がします。もう、遠い昔で忘れてしまいました。それが、いつの間にか、コミュニオンとの関係は、素晴らしいのですが、平凡の日々の一日の中に入ってしまってる感じがしなくもないです。登る階段の段差が低い所に感じています。最後のところの「秘訣は、」「心に決める事です」とありますが、本当はその先があって、行動に繋がらないと何にもならない気がしました。決めたら、実行ってことでしょうか?
「不幸を、他人のせいにすることなく」って言っても、なかなかこれを「決める」のは難しいです。自分の親が、自分に対して、こうだったから、自分はこうなった。っていうのは、まさに他人ではないのですが、他者の(親の)せいにしていると言う事で、「不幸を、親を含めて、人のせいにしない。」というのは実際難しいと思います。ここで、座礁してしまいます。良い作品が作れたと親に見せに行ったら、「それは、ここを直した方がいい」と悪気はなく親が言った言葉が、私の「自信を持てない」自分を作り上げてしまっている。ただ単に「凄いね~」と褒めてくれればよかったのに。でも、それは、それが分かれば消える類いの物ではありますが、それを原動力として、人のために何かをして、幽閉された自分の自我の殻から解放されるように、する。結局、自分の為に、他者に何か良さそうなことをする事によって自分を解放して行きたいと思います。
自分としては、人のために役に立とうとして行ってことが、気がつくと、自分が一番恵みをいただいていた。日常の平凡な繰り返しが、自分の人生におだやかな幸せを与えてくれる。
自分も地に足をつけて平凡な毎日の中で、楽しみをみつけて生きている、と気づかされました。絵に光を描いておられる方が何人かいて、光がなくても、絵やお話から光を感じ、よいエネルギーを頂いて元気づけられました。終わるころには一週間の疲れが癒され、参加してよかったと思いました。
「自分の人生を自分でみずみずしく」
このコミュニオンに参加することも、最初の一歩は、平凡じゃなかった気がします。もう、遠い昔で忘れてしまいました。それが、いつの間にか、コミュニオンとの関係は、素晴らしいのですが、平凡の日々の一日の中に入ってしまってる感じがしなくもないです。登る階段の段差が低い所に感じています。最後のところの「秘訣は、」「心に決める事です」とありますが、本当はその先があって、行動に繋がらないと何にもならない気がしました。決めたら、実行ってことでしょうか?
「不
2021年
わかちあい会
「透き通るような心」
ゆったりとした気持ちで瞑想ができ、私が高校生だった頃の母方の祖母のことが思い出されました。母のことでくすぶっていた私を優しく温かく見守っていてくれた祖母。一瞬心に浮かんだ丸っこい可愛いハートを中心に絵を描いてみたら気分が晴れました。私が辛い時にこの絵を見たらきっと、優しく温かく応援してくれている方々のことを思い出して乗り越えて行けるだろうという気がしました。他の参加者の方々とのさりげない交流にも心和みました。安心できる場で心静かに自分自身と向き合えて、他の方のお話も伺えて心が潤うひと時でした。ありがとうございます。
「透き通るような心」の文章を、初め、自分自身で読んでいた時は、緑の木の葉っぱを思い出していたのですが、アニメーターの文章を読んでいる声を聞いていて、母の「ごくろうさん」という言葉がありがたいことに気づきました。また、この時間をもてていること、わかちあい会に参加できている時間が有難い事にも気づきました。今日は、久しぶりに参加できたわかちあい会でしたが、Zoomに参加するのが、パソコンの調子が悪く、遅れてしまいました。申し訳ありませんでした。いつもフォローしてくださっているスタッフの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。自分を見つめなおすよい時間を持つ事ができました。ありがとうございました。
「透き通るような心」
ゆったりとした気持ちで瞑想ができ、私が高校生だった頃の母方の祖母のことが思い出されました。母のことでくすぶっていた私を優しく温かく見守っていてくれた祖母。一瞬心に浮かんだ丸っこい可愛いハートを中心に絵を描いてみたら気分が晴れました。私が辛い時にこの絵を見たらきっと、優しく温かく応援してくれている方々のことを思い出して乗り越えて行けるだろうという気がしました。他の参加者の方々とのさりげない交流にも心和みました。安心できる場で心静かに自分自身と向き合えて、他の方の
2021年
わかちあい会
「平穏な日々こそ『恵み』です」
あたりまえは有り難い奇跡によって成っていると思いました。あたりまえの中の小さな幸せを感じられ感謝できるようになりたいです。目の前のことに集中して喜怒哀楽を感じつくし、小さな幸せを集めます。
命は与えられたもの、自分で生きているのではない。自分は大気の中の一粒、海の中の水の一滴のようにちっぽけな存在。だけれども 光の輪に包まれていきている。「光の輪に包まれて」という言葉は瞑想の誘導の中で発せられたもので、すばらしいイメージをいただいたと思った。
「平穏な日々こそ『恵み』です」
あたりまえは有り難い奇跡によって成っていると思いました。あたりまえの中の小さな幸せを感じられ感謝できるようになりたいです。目の前のことに集中して喜怒哀楽を感じつくし、小さな幸せを集めます。
命は与えられたもの、自分で生きているのではない。自分は大気の中の一粒、海の中の水の一滴のようにちっぽけな存在。だけれども 光の輪に包まれていきている。「光の輪に包まれて」という言葉は瞑想の誘導の中で発せられたもので、すばらしいイメージをいただいたと思った。
2021年
わかちあい会
「涙はいちばん小さな海」
20年以上まえの事である。息子のひきこもりに悩み、カウンセラーに相談したことがあった。 息子を育てていく時の自分の悩みを語る事になった。しばらく語った時、カウンセラーが一言、「苦労なさいましたね」と、声をかけてくれた。 その時思いもかけず、号泣した。涙は止まらず、とどめる事が出来なかった。 やっと心が静まった時「息子は、もっと苦しかった だろうに」と、降ってくるように、その想いがわいてきた。
辛かった事も涙で浄化され、心が解放されたのだ。その時光が飛びこんで来て、他者への痛みにも触れる事が出来たのだ。 涙は言葉にならない真の想いを伝えるものであり、人との絆をつくったり、人に癒しを与えたりする。 涙は神様がくれた贈り物だ。
昔、他の人の辛い話を聞いて流した涙は私自身を癒し、その他の人も癒していたことを思い出しました。何もしてあげることができなくてもそばにいて涙を流すことができる、それは他の人を癒すことにはじめて気づきました。「悲しい涙」「辛い涙」「苦しい涙」「嬉しい涙」私の流した涙が人とつながり他者を癒し、他者が流した涙で私も癒されている。参加者の方々のお話を伺い、涙でつながることの気づきとともに、あたたかく静かな時間を過ごしたように感じました。ありがとうございました。
瞑想をしている時、何人かの人の顔が浮かびました。
特に飲食店をしている友人のことが思い浮かび、このコロナの状況で心配をしています。前に会ったときに私がよかれと思ってしたことが、もしかしたら相手を傷つけるようなことだったかもしれないと思い、今はどのように接したらいいのか戸惑っています。相手の為と思っていたことは、本当は自分がそうしたいと思ったことであったのかなと感じました。何か特別なことをしなくても寄り添っていくような気持ちで接してみたいと思います。
このテキストは私の好きなテキストで、泣くことは多くはありませんが、泣くと大抵スッキリします。ふと子どもの頃はよく泣いていたなと思い出しました。みなさんのお話しやフィードバックからも気付きをいただきました。
久しぶりに参加者として参加させていただき、とても気楽に自分のことに集中していられました。ありがとうございました。
若い頃の涙の色は理不尽だと思ったことへの怒りで黒く濁っていました。その色が、喜びや感動などに少しずつ洗われ、色彩が柔らかくなってきた様子を描きました。黒い涙も最近の涙もその周囲は同じ緑色でした。ものの感じ方がコミュニオンの学びの中で少しずつ優しくなってきたのかもしれません。
わかちあいで「辛い気持ちを伺って何も言えず、ただ涙があふれてきた。話した方がそれに気づき充分慰められました、と言ってくれた」と伺いました。テキストの「本人も思ってもみなかった光(涙)が、その人の深みから輝かせる言動力になります」につながり嬉しいでした。ある方が「涙は愛なのですね」とフィードバックされました。本当にそうですね。ありがとうございました。心からの感謝を込めまして。
「涙はいちばん小さな海」
20年以上まえの事である。息子のひきこもりに悩み、カウンセラーに相談したことがあった。 息子を育てていく時の自分の悩みを語る事になった。しばらく語った時、カウンセラーが一言、「苦労なさいましたね」と、声をかけてくれた。 その時思いもかけず、号泣した。涙は止まらず、とどめる事が出来なかった。 やっと心が静まった時「息子は、もっと苦しかった だろうに」と、降ってくるように、その想いがわいてきた。
辛かった事も涙で浄化され、心が解放されたのだ。その時光が飛