NPOコミュニオン国際コミュニオン学会

受講生の声一覧

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「私と仲良し」
ずいぶん自分と仲良しになれたものだなーと過去の自分をふりかえって思いました。「どうせ私なんて」が口癖だった頃と今。これからも一所懸命生きることを喜びとします。
「社会的成功」という言葉にいちばんひきつけられました。私はずっと社会的成功を追い求めて生きてきたような気がします。でも もう年老いて、それを手に入れることなく命を終えようとしている。みすぼらしい自分。時にすぐに生命がたたればいいのにと思うこともある。でも不思議に現在の自分を不幸と思わない。『しあわせ』だと思って毎日を過ごしている。そのような日常に感謝。します。

「私と仲良し」
ずいぶん自分と仲良しになれたものだなーと過去の自分をふりかえって思いました。「どうせ私なんて」が口癖だった頃と今。これからも一所懸命生きることを喜びとします。
「社会的成功」という言葉にいちばんひきつけられました。私はずっと社会的成功を追い求めて生きてきたような気がします。でも もう年老いて、それを手に入れることなく命を終えようとしている。みすぼらしい自分。時にすぐに生命がたたればいいのにと思うこともある。でも不思議に現在の自分を不幸と思わない。『しあわせ』だ

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「羊は羊でよし、馬は馬でよし」
最初にテーマを見たとき、一人一人が自分らしくということかなと思った。わかちあい会では、テーマについて自分も含めて大いなるものとの一体感を感じられている方が、多いと思いました。絵を描きながら、円というものは、広がったり収束したりすることができ、自由になれると気づきました。
モンゴルの草原 宇宙の広さ そのもの その中の一点としての自分
大地の恵みと愛に支えられて存在する自分 このように大きくとらえられるのだろうか
日々の生活の中、人との関係の中で、あくせくしているとき、モンゴルの草原に立ったかのような気持ちで、深呼吸して、すべてがそのものとして、よし、とされていることに心を馳せたいと思う。

「羊は羊でよし、馬は馬でよし」
最初にテーマを見たとき、一人一人が自分らしくということかなと思った。わかちあい会では、テーマについて自分も含めて大いなるものとの一体感を感じられている方が、多いと思いました。絵を描きながら、円というものは、広がったり収束したりすることができ、自由になれると気づきました。
モンゴルの草原 宇宙の広さ そのもの その中の一点としての自分
大地の恵みと愛に支えられて存在する自分 このように大きくとらえられるのだろうか
日々の生活の中、人と

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「自分と自分の見方は変えることができる」
楽しい2時間でした。久し振りのわかちあい会参加でした。最初の瞑想が集中出来ず困ったなぁと思いましたが、その後の2回目の瞑想で(あなたが見方をかえる時、まわりに幸せの輪が広がっていくでしょう。)と言う言葉がハッと耳に止まりました。まわりに幸せが広がって行くなら見方を変えたい、変える事が出来たら、と思いました。心に響きました。その後、一夜明けて、私が幸せになるのはどんな方法?どんな見方?と言い換える方法を思い付きました。それを自分に言ってみました。とても心が軽くなりました。これからもこの瞑想の言葉は大切にしたいです。祈りの言葉に思います。
エニアグラムやわかちあい会を通して、自分を責めていたことに気付いてから、自分を温かく見つめることを意識してきました。少しずつ自分の内面が整えられてきたのでしょう、周囲の人が何気ない言葉を発したときに、自己防衛して過剰に反応することが減ってきました。周囲の言葉は同じでもユーモア—で返すことができるのです。優しい言葉とまでいかなくても、自分自身を責めないだけで大きな変化が見られました。自分と自分自身との関係を大切に育み、いつも一緒にいる、スケジュールを合わせるのに苦労しない最高の友達にしたいと思います。
・「どんなに大勢の人がいても、自分と一対一の関係を基盤にして繋がっていきます」かなり、衝撃的な言葉でした。子供時代の幸せだった頃の記憶で、皆がニコニコして幸せだった自分を見た時、私と家族の一対一の関係は常に、脆弱だったと感じました。私の弱さや心の歪みに関係する大事な気づきでした。独りになって、さらに分析を深めていこうと思いました 。
・「自分自身との関係がうまくいっていれば、周りの人とも、うまく付き合っていくことができます」分かち合い会は2度目ですが、自分自身を感じ取る時間のためか、毎回私自身が一本の軸で貫かれ、とても安心した心地よい感覚を覚えます。今回 、組んだ方との分かち合いの中で 、その方が 自分をしっかりと感じ取り、自分を受け入れている 姿に接した時、とても居心地がよく、安心した 気持ちに なりました。自分自身と誠実な関係を生きる態度。それは、「 I a m OK 」という自分を肯定する気持ちを内側から呼び起こしてくれるような感覚でした。 ありがとうございました。
・皆さんの子供の頃の分かち合い を聴くうちに 、自分が 忘れていた 子供時代の楽しい記憶が次々に蘇り、無心になって過ごした瞬間、瞬間があった ことを思い出しました。目をつぶっていた時に アニメーターが語った「自分は愛されています」という言葉も心に染み渡り 、過去に自分は無条件で愛された一対一の関係があったことを感じ取ることができました。
・「自分自身と他人に対する自分の見方は変えることができる」とても希望がある言葉です。分かち合いが終わった後 、私はこの言葉に招きを受けていると強く感じました。
・ご準備をいただいたアニメーターや支援スタッフの皆様に感謝いたします。本当にありがとうございました。
テキスト何回も読み返すといろいろ、突き詰めて、感じる所が各所に出てきます。テキストの、「自分自身との関係がうまくいっている」って言える人がいるのかなと思いました。「自分に深い愛情をかけ」とはいえ、自分を許せなくては愛情をかけてるとは言えないかな?と思います。自分が誰かを許せないという事は、誰にもあることの様に思います。まず、許せない自分でいいのか?と言うのがありました。
「〇〇さんを変える事は出来ないけれど、自分自身と○○さんに対する見方は変える事ができる。」・・〇〇さんに関しては、「なんでそういう事言うかなー」とか不快に思ってもなんとか、色んな角度からの別の見方で解決しようとあくせくしてます。その人に対する不快感から、解放されるためにあくせくしています。見方を変えないと一生、その人に対する不快感が残りそうです。結局、他の見方が見つからない儘の事も多いですが、そう言えば、亡父に対しての見方は変化してきていました。父に「ありがとう」と言える様に。長期戦な感じです。結局、すべて「自分を愛す」ところから始まる様です。
また、皆さんのシェアとは視点がずれ、主題ともずれてしまって恐縮だったのですが、今回私が、笑ってしまったのは、自分の絵と、他の人の絵がよく似ていると思った事でした。いつも分かち合い会の冒頭でアナウンスのある、「コミュニオンとは、心の底でひとつ」とか言う事の現実化が起っちゃったかなと思いました。今回、心の奥での出来事として、言語ではなく、非言語的な伝達だろうと思います。
ちょっとわからなかったのは、「子どもの頃、一番楽しかった事」と、「自分の見方を変えることが出来る事」の関連性でした。ここから、自分と自分自身の関係をもう一度振り返り、自分を好きになり、愛情をかけられる様になると言う事でしょうか?町で見かける小さい子はただ走れるだけで凄く嬉しそうだなと思いました。

「自分と自分の見方は変えることができる」
楽しい2時間でした。久し振りのわかちあい会参加でした。最初の瞑想が集中出来ず困ったなぁと思いましたが、その後の2回目の瞑想で(あなたが見方をかえる時、まわりに幸せの輪が広がっていくでしょう。)と言う言葉がハッと耳に止まりました。まわりに幸せが広がって行くなら見方を変えたい、変える事が出来たら、と思いました。心に響きました。その後、一夜明けて、私が幸せになるのはどんな方法?どんな見方?と言い換える方法を思い付きました。それを自分に言ってみまし

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2021年

わかちあい会

「一人林に」
五人の仲間の絵とお話楽しく聞かせて頂き、感謝です。
静寂の中に自然のお話だけがある世界 風はさやさや吹き、青空に雲が流れる。 
花は咲き 鳥がさえずる。 
草の中に眠るテントウムシ 風はさやさや温かなピンク色でまわりを包んでいる。 
宇宙と調和した穏やかな時が流れる。
どの生物も安心して、自分らしく振る舞っている。
誰が見ていなくても、聞いてなくても、神様に見守られているのだ。
ありがとうございました。
コロナ感染を恐れて一年以上わかちあい会には参加していませんでした。今回初めてオンラインわかちあい会に参加したのですが、事前練習の時間を設けてくださったので機械に弱い私でも何とか大丈夫でした。
日頃沈黙している時間は多いのですが、常に頭はフル稼働して「日本や世界について」考えている私がいることに気付かされました。そして「本当の沈黙」を得るためにはこういう「安心安全な仲間と場」が必要なのだとしみじみ思いました。
今回親身に声をかけてくださった方がいたおかげで、新たな一歩を踏み出せました。ありがとうございました。
自分なりにですがテキストを今までより深く読むことができました。そのことを通して、参加者の皆さんのわかちあいをいつもとは違うあり方で聴くことができました。ありがとうございます。
何年かぶりに、分かち合い会に参加しました。オンライン接続のサポートをしてくださったスタッフの皆さんに、あらためてお礼申し上げます。
いろんな事が怒涛のように押し寄せる感覚の中で生活していると、自分が本当は何を望んで何を感じているのかがわからなくなります。
そんな時、自分と静かに向き合う機会を意識して作ることはとても大切なんだと思います。今まで、そんな時空間に助けられた経験が何度もあります。ほんの数分だったり、数時間だったり。そして、新たに仕切りなおして前へ歩いていく。生きることは、それの繰り返しなのかなーと思っています。
久しぶりに、分かち合い会に参加して、限られた時間内でのワークだからこそ、得るものは大きいのだと感じました。

「一人林に」
五人の仲間の絵とお話楽しく聞かせて頂き、感謝です。
静寂の中に自然のお話だけがある世界 風はさやさや吹き、青空に雲が流れる。 
花は咲き 鳥がさえずる。 
草の中に眠るテントウムシ 風はさやさや温かなピンク色でまわりを包んでいる。 
宇宙と調和した穏やかな時が流れる。
どの生物も安心して、自分らしく振る舞っている。
誰が見ていなくても、聞いてなくても、神様に見守られているのだ。
ありがとうございました。
コロナ感染を恐れ

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2021年

わかちあい会

「幸せ感を育てる」
小学生の頃、海で大きな波が来る時、下に潜ると安全なことを覚えました。昨日の大嵐の時、私は窓から外の様子をしばらく眺めていました。雨が強くお向かいの家を吹き付ける様子を、どちらかと言うと興味深く見ていました。嵐の合間のダブルレインボーは、ことさらに美しかったです。日常の中でも自然の美しさ、雲の動き、草木の芽吹く様子を見るのが好きです。待ちにまっていた椿のつぼみが膨らんで鳥が食べにくるのを見ると、鳥を追いやりたくなりますが、鳥の想いもわかるので、心の中のせめぎあいが起こります。
桜の花が開花するには、冬に厳しい寒さを感じると、翌春にはきれいに咲くそうです。私も辛い苦しい体験があったからこそ、普段の何気ないことに小さな幸せを感じています。
昨日の嵐の中、必死に耐えていたであろうミモザの大木が、今朝はいつもより、より美しく見えました。 
初めての参加でした。「波立つ海の深い深い底は、静かです」という鈴木先生の御言葉が心に響きました。今回私は、冬の寒さが残る東北の3月に咲く、沈丁花が放つ甘く強い香が、一瞬寒さを忘れさせ、鬱々としている自分に、春はもうすぐだから大丈夫だと励まされているような感覚を分かちあいました。低木で存在感のない花が放つ強い香りが私の心の奥まで注ぎ込み、私は私でいいのだよと認められ、癒されるような感覚も味わい、私は今まで一体何を心配していたのだろうと思う程でした。参加者の方々からの感想もとても嬉しかったです。
差し引きせず、そのままの感覚を感じ取ることはとても心地よく、自分自身と一致している安心感も味わいました。私の中の奥にいる「私さん」が喜んでいるようで、コンパニオンを得たような感じです。
「不平不満で心を満たすことはとても簡単です。それは人を分裂に向かわせます」という御言葉から。他人への不平不満のみならず、自分自身の不平不満も自己を分裂させるような気がします。意味のあることだけ、肯定的なものしか認めないという姿勢が、どれほど自分を窮屈にさせていたことか。日常のほんの些細な良い事に目を止め、自分自身の感覚をじっくりと味わうことで得られる豊かさを改めて体験しました。「幸せ感」は人から与えられるものではなく、心の中で意識することで生まれるものだと気づきました。参加者の方々はほとんど初めての方々で、分かち合いの内容も異なるものでしたのに、分かち合いを進めるうち、互いの分かち合いが共鳴するような感じがあり、彼らの言葉は彼らだけのものではない、深いところでつながっているような感覚も感じました。
あたたかく安らいだ時間を過ごすことができ、心から感謝いたします。準備をしてくださったご担当者の皆様、一緒に分かち合いをさせていただいた参加者の皆様には、心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

「幸せ感を育てる」
小学生の頃、海で大きな波が来る時、下に潜ると安全なことを覚えました。昨日の大嵐の時、私は窓から外の様子をしばらく眺めていました。雨が強くお向かいの家を吹き付ける様子を、どちらかと言うと興味深く見ていました。嵐の合間のダブルレインボーは、ことさらに美しかったです。日常の中でも自然の美しさ、雲の動き、草木の芽吹く様子を見るのが好きです。待ちにまっていた椿のつぼみが膨らんで鳥が食べにくるのを見ると、鳥を追いやりたくなりますが、鳥の想いもわかるので、心の中のせめぎあいが

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2021年

わかちあい会

「震災が教えてくれた事」
震災は体験したことはありませんが、自分の人生で、とことん悩み苦しんだ体験は、同様に、かけがえのないことを教えてくれたように思います。自分にとってのどん底を経験することで、自分が今何をしたら良いのか、明らかにすることができるようになります。そのためには、自分自身の気持ちを素直に伝え、人と対話すること。相手と、自分を大切にする気持ちで、伝えれば、必ず伝わり、自信がつきます。自分を信じ、相手を信じることの大切さを、今は確信しています。今日もありがとうございました。
感じている自分、考えている自分、行動している自分が、一致するということは、どういう感じなんだろう?全てを無くした時、本当に大切な事は何か?大切ものは何か?真理がみえてくるかな。まだまだ甘さが残る小我の自分に気づきました。今日はとても難しいワークでした。

「震災が教えてくれた事」
震災は体験したことはありませんが、自分の人生で、とことん悩み苦しんだ体験は、同様に、かけがえのないことを教えてくれたように思います。自分にとってのどん底を経験することで、自分が今何をしたら良いのか、明らかにすることができるようになります。そのためには、自分自身の気持ちを素直に伝え、人と対話すること。相手と、自分を大切にする気持ちで、伝えれば、必ず伝わり、自信がつきます。自分を信じ、相手を信じることの大切さを、今は確信しています。今日もありがとうございました

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2021年

わかちあい会

「波と一緒になって」
久しぶりに皆の顔を見て安心しました。
どんな出来事も24時間休みなく続いています。自分が寝ている間も続いています。そのできごとに対して、素直に一体となって味わっていけたら、これからの人生がさらに充実してくるのではないだろうかと思いました。

「波と一緒になって」
久しぶりに皆の顔を見て安心しました。
どんな出来事も24時間休みなく続いています。自分が寝ている間も続いています。そのできごとに対して、素直に一体となって味わっていけたら、これからの人生がさらに充実してくるのではないだろうかと思いました。

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2021年

わかちあい会

「言葉はエネルギー」
「悪い言葉を口にするよりも、むしろ黙っていよう」と思って無口に生きてきました。それは凍える冬の景色のようでした。今日、わかちあった言葉や絵から、春の陽だまりに居るような開放感と安心感を受けとりました。今まで自分を苦しめていた自己批判・他者批判の言葉が、皆さんのハートのフィルターを通して、柔らかく周りを包み込んでくれる言葉に変わっていくのを感じました。自己主張する自分ではなく、相手に寄り添える柔軟な自分になりたい、なれそうな気がしてきました。
自分の口から出る言葉は、自分の内心と一致したことをちゃんと伝えるようにと意識してきました。でも、それを意識するあまり“我を張る”ことにならないようにしたいと、最近思っています。人の意見を聞き入れて、私の意見とは違うけどそれもいいしこれでもいいのかもと思えた時、自分の中の選択肢が広がり、心がゆったりするような感覚を覚えます。黙ることは弱さではなく、受け入れる強さでもあり、人の言葉を生かすことは今まで自分の発想ではやってみようと思わなかったことを私自身が試してみる新たなチャレンジでもあるのと最近思えるようになりました。

「言葉はエネルギー」
「悪い言葉を口にするよりも、むしろ黙っていよう」と思って無口に生きてきました。それは凍える冬の景色のようでした。今日、わかちあった言葉や絵から、春の陽だまりに居るような開放感と安心感を受けとりました。今まで自分を苦しめていた自己批判・他者批判の言葉が、皆さんのハートのフィルターを通して、柔らかく周りを包み込んでくれる言葉に変わっていくのを感じました。自己主張する自分ではなく、相手に寄り添える柔軟な自分になりたい、なれそうな気がしてきました。
自分の口から

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2021年

わかちあい会

「愛するゆえに」
亡くなった人であなたの幸せを願っている人を思い浮かべてみましょう。その人の愛情を感じてみましょう・・・と瞑想をしました。不思議なもので亡くなった父が腹を抱えて笑っている顔を思い出し、よく感じていると、今ここで父と一緒にいるようなあたたかな気持ちになりました。父の死は、最悪だけれども最良だったと今となっては納得できていますが、ほんの時々、「お父さんは死んでしまった。」と途方に暮れた気持ちになることがありました。「なんだ、こうすればいいのだな・・・」と思いました。いつでもどこでもコンタクトできます。
大切な人を亡くすという体験を分かち合っていて、廊下の電気がひとりでに点灯したり、「今トイレなの?」と亡き母の声が聞こえたり・・・「貞子か!」とも思えるような体験も聞かれて(実は、私も話はしませんでしたが、そんな体験をもっています。)亡くなった人はお茶目なことをするし、亡き人とのつながりは結構現実的だなあと面白くなりました。
愛するゆえに、死がある。どうしようもない悲しみではあるけれど、大切に思われていた、大切に思っていたからなんですね・・・。父の死をやっとこさ乗り越えた私には、勇気が必要ですが、これからひとつでも多くあの途方もない悲しみを体験していけるよう生きたいと思います。

「愛するゆえに」
亡くなった人であなたの幸せを願っている人を思い浮かべてみましょう。その人の愛情を感じてみましょう・・・と瞑想をしました。不思議なもので亡くなった父が腹を抱えて笑っている顔を思い出し、よく感じていると、今ここで父と一緒にいるようなあたたかな気持ちになりました。父の死は、最悪だけれども最良だったと今となっては納得できていますが、ほんの時々、「お父さんは死んでしまった。」と途方に暮れた気持ちになることがありました。「なんだ、こうすればいいのだな・・・」と思いました。いつ

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2021年

わかちあい会

「闇に射し込む光」
自分の心の中のやすらぎに満たされているとき、それは温かな光を浴びているような気持ちの時であり、幸せを感じる時だ。 他と比べたりして自分をおとしめたりせず、神は大切な存在として、自分を常に見守っておられるのだと感じられる時、やすらぎは保たれるのかもしれない。 苦しみの渦中にある時は、まるで虫眼鏡で拡大して、その苦しみだけを見つめているかのようだった。しかし、苦しみの周りには広い世界が広がっていて、助けの光が差し込んでいた。その助けの光をいっぱい頂いて苦しみを通り抜けた今だからこそ、やすらぎの大切さを身にしみて感じられるのだ。
初めて、オンラインわかちあいに参加しました。札幌から気軽に参加することができ、とても嬉しく、ありがたく思いました。わかちあいは日常生活の中で知らず知らずに溜まって行く心の澱に気づかせてもらえ、お掃除できる感じがします。今日は、参加者が感じる安らぎを分かち合っていただけて、リフレッシュできました。ありがとうございます。
コロナ禍の緊急事態宣言が未だ解けず、仕事は在宅勤務を強いられています。ほんのこの前まで通勤に片道1時間半かかる事が苦痛に思えていたことも、今では週一回カラダを動かして通勤する事が楽しみです。今日のテキストからディスカッションのテーマになったことは“安らぎ”でしたが、今の私はカラダを動かすことや、仲間と直接会って活動することが“安らぎ”に通じるのだと気付きました。また、参加された皆様の言葉に耳を傾けることで得られる充足感も、わかちあい会ならではの感覚で、安らぎました。ありがとうございました! 
やすらぎにつながっているときは、自分が支えられて守られていることを感じているときだと、実感できました。ふだんの生活では出来事に左右されてしまってそれを忘れがちになります。この場でわかちあって応援してもらい、自分に言い聞かせることができてよかったです。

「闇に射し込む光」
自分の心の中のやすらぎに満たされているとき、それは温かな光を浴びているような気持ちの時であり、幸せを感じる時だ。 他と比べたりして自分をおとしめたりせず、神は大切な存在として、自分を常に見守っておられるのだと感じられる時、やすらぎは保たれるのかもしれない。 苦しみの渦中にある時は、まるで虫眼鏡で拡大して、その苦しみだけを見つめているかのようだった。しかし、苦しみの周りには広い世界が広がっていて、助けの光が差し込んでいた。その助けの光をいっぱい頂いて苦しみを通り抜