NPOコミュニオン国際コミュニオン学会

受講生の声一覧

わかちあい会

2022年

わかちあい会

「いま、ここで」
「いま、ここで」と改めて意識することが出来て、今の自分には計らいだったように思います。
いま、ここから離れていて、先のことばかり考え、空回りしてどうにもならなくなっていました。状況は変わりませんが、「いま、ここで」と決めたことで、大分心が落ち着きました。
どんなときに幸せを感じたかについて瞑想をしました。私は心がニュートラルな状態を幸せと思っているようなところがあります。
でも今回幸せについて瞑想をしていると、辛かったことが解決したときの安堵した感じを思い出しました。私自身としては、闇を見たくない、葛藤を味わいたくないという実感はありますが、闇を体験すると幸せも深くなるように感じました。
また、みなさんに闇と光は一体、表裏、光は闇に包まれているとフィードバックも頂きました。これから日常の中で味わっていきたいです。
今日、わかちあい会でお話を聞き合った時間、ご一緒した皆さんと一緒に「いま、ここ」を共有した時間だったと感じました。お話を集中して聞くということは、「いま、ここ」で結ばれるということなのだと感じました。初めてお会いした方とご一緒できたこともうれしかったし、また以前から知っている方からは、新たにその方の持ち味を知ることができ、今日は今日のその方に触れることができたと感じました。心から楽しいと感じられた時間でした。ありがとうございました。
アイスブレーキングの課題は、「何でもできる自由な一日(時間)」があったらというものでした。相手の方との話に、八甲田山の事が出て来て、後で書いた絵も、その残像が残ってしまい、八甲田山になりました。テーマの「今、ここで」とは関係ないなと思いながらも、空の色が、紺色しかなかったので、濃すぎるな、そうだピンクを入れようと思いました。でも、これ自体が、過去や未来を思ってのことではなく、「今、ここで」であるなと思いました。それは、絵を発表して、質問していただいた時、八甲田山の絵と、「今、ここ」が結びつく気付きがありました。気付かせて下さってありがとうございます。そして、それは、いつも、絵を描いてるとき時に降りてくる叡智というものだと。そして、降りてくるのは、いつも、未来、過去でもなく、その状況は「今、ここ」だと。
初めての参加でした。
今。ここにいる「わたし」を感じることができました。出来事や良いか悪いかの基準に左右されないありのままの「わたし」を大事にしたいです。日常の社会生活では見失いがちな自分らしい「わたし」を見つめられました。分かち合いは、参加者の方々の話や私の分かち合いへの感想をいただき、気づきや共感が出来て、とても楽しくあっという間の2時間でした。ありがとうございました。

「いま、ここで」
「いま、ここで」と改めて意識することが出来て、今の自分には計らいだったように思います。
いま、ここから離れていて、先のことばかり考え、空回りしてどうにもならなくなっていました。状況は変わりませんが、「いま、ここで」と決めたことで、大分心が落ち着きました。
どんなときに幸せを感じたかについて瞑想をしました。私は心がニュートラルな状態を幸せと思っているようなところがあります。
でも今回幸せについて瞑想をしていると、辛かったことが解決したときの安堵した

わかちあい会

2022年

わかちあい会

「犬を飼うことは新しい人生の出発」
分かち合うことの喜びを感じました。深いところでのつながりを実感し、命が喜んでいることを感じました。
今日集まった全員で生み出した豊かな時間は一回限り。このような恵みに気づいてゆくことで、大いなる存在を信頼し、自分はその存在から賜物を与えられていることを信じ、そして同じように他者にも与えられていることを信頼することができるのだと気づきました。共に分かち合ってくださった皆様、本当にありがとうございました。

「犬を飼うことは新しい人生の出発」
分かち合うことの喜びを感じました。深いところでのつながりを実感し、命が喜んでいることを感じました。
今日集まった全員で生み出した豊かな時間は一回限り。このような恵みに気づいてゆくことで、大いなる存在を信頼し、自分はその存在から賜物を与えられていることを信じ、そして同じように他者にも与えられていることを信頼することができるのだと気づきました。共に分かち合ってくださった皆様、本当にありがとうございました。

わかちあい会

2022年

わかちあい会

「『ひとのせい』をやめると」
瞑想の中、高い視点で見るとアイスブレーキングで皆さんが話されたことを「やさしさと明るさで溢れている」と感じることができました。又、わかちあいの中でそれを表現する事で「やさしさと明るさ」が循環していくことも経験できました。ありがとうございます。

「『ひとのせい』をやめると」
瞑想の中、高い視点で見るとアイスブレーキングで皆さんが話されたことを「やさしさと明るさで溢れている」と感じることができました。又、わかちあいの中でそれを表現する事で「やさしさと明るさ」が循環していくことも経験できました。ありがとうございます。

わかちあい会

2022年

わかちあい会

「夢みたものは」
いつも自分のしあわせは家族の健康、家族に良いことがある事と自分は置いてと思っていました。瞑想の中で、私がしあわせであることが一番なのではと考えることでき、それは自分がリラックスして自分がのびのびしていることがしあわせなのではと気づきました。自分が大切とはじめて思うことができました。自分だけではわからなかったことも、他の人からのフィードバックで気づきにつながっていると感じました。
今、ここにすべてがあるということが、可能性としてはあるのだと感じたような気がします。やさしい雰囲気の中で会に参加できました。ありがとうございます。

「夢みたものは」
いつも自分のしあわせは家族の健康、家族に良いことがある事と自分は置いてと思っていました。瞑想の中で、私がしあわせであることが一番なのではと考えることでき、それは自分がリラックスして自分がのびのびしていることがしあわせなのではと気づきました。自分が大切とはじめて思うことができました。自分だけではわからなかったことも、他の人からのフィードバックで気づきにつながっていると感じました。
今、ここにすべてがあるということが、可能性としてはあるのだと感じたような気がしま

わかちあい会

2022年

わかちあい会

「名前を呼んでみましょう」
このテーマで何度か行った事があったので新しい事が出るのかと不安でした。しかし、目を閉じてテキストを聞いていると亡くなった父のことを思い出したことは驚きでした。他の人の言葉から、父が名づけてくれた事、小学校の入学写真に父と写ったこと、父がPTAの役員となり行事を一緒に行った事等を思い出しました。2年生になった途端に亡くなったので父との思い出はあまり無いと思っていたので 濃厚な一年間があったことを50年以上も考えたことはありませんでした。思い出が豊かに蘇りとてもあたたかな気持ちになりました。
心の状態が悪いと自分を否定的に捉えがちです。そんな時ほど心のどこかで「私は大切な人間である」と信じさせて欲しいと他者に求めてしまい、ちょっとしたマイナスの刺激にもバランスを崩しがちです。本当は充分な愛や支えをいただいて、今の自分があることは重々わかっているはずなのにです。今日はわかちあい会の場で、皆さんと一緒に自分の心を温かいもので満たすことが出来ました。本当は自分で自分を受け入れ、認めていくことが大切なのでしょうが、一人ではそれが難しい時もあり、だからこのような場が必要なのだと改めて思いました。

「名前を呼んでみましょう」
このテーマで何度か行った事があったので新しい事が出るのかと不安でした。しかし、目を閉じてテキストを聞いていると亡くなった父のことを思い出したことは驚きでした。他の人の言葉から、父が名づけてくれた事、小学校の入学写真に父と写ったこと、父がPTAの役員となり行事を一緒に行った事等を思い出しました。2年生になった途端に亡くなったので父との思い出はあまり無いと思っていたので 濃厚な一年間があったことを50年以上も考えたことはありませんでした。思い出が豊かに蘇りと

わかちあい会

2022年

わかちあい会

「やさしさと強さと」
安心の場で心の中を話し、否定もされないでありのままを受け入れてもらえた喜びで一杯です。どうしても今介護で煮詰まっていたのですが、何人かの方も今経験していると話され、繋がっているのだなと感じました。他の人の話から、忘れていた事をフト思い出し気づきを頂きました。また、私も頑張れると力を頂きました。換気に注意を払ってくださりありがとうございます。
必要な時に必要なものが与えられる。それは、宇宙から愛されているから。ただ、与えられていることに気づけないこともあるから、常に気づけるようになりたいですね。いつもありがとうございます。

「やさしさと強さと」
安心の場で心の中を話し、否定もされないでありのままを受け入れてもらえた喜びで一杯です。どうしても今介護で煮詰まっていたのですが、何人かの方も今経験していると話され、繋がっているのだなと感じました。他の人の話から、忘れていた事をフト思い出し気づきを頂きました。また、私も頑張れると力を頂きました。換気に注意を払ってくださりありがとうございます。
必要な時に必要なものが与えられる。それは、宇宙から愛されているから。ただ、与えられていることに気づけないこともある

わかちあい会

2022年

わかちあい会

「どうにもならないものでも案外いいものです」
コロナになり始めてのわかちあい会参加でした。アイスブレイキングで介護で身動きが取れなくてストレスも溜まっている事が口に出てしまいました。私の周りの人からは心無い言葉が返ってきていたのでわかちあい会に出る前は落ち込んでいたのですが、フィードバックで「逃げ出さない忍耐力がありますね」「闇の中に沈み込まない強さがある」「踏ん張っていて、それを天使が応援してる」ととても驚きの言葉をいただき、嬉しい思いで一杯になりました。安心、完全の場にいるのだという実感がヒシヒシと湧いてきて生きる勇気をもらいました。心の底から「ああ、いいなあー」と感じました。
わかちあい会の時間の中で、美しい瞬間に立ち会わせていただいたと感じています。心の中には捨てられるものは何もなく、捉え方が変わればすべてが変わっていく可能性があるのだと思います。コロナ禍も「どうにもならないもの」だけど「案外とてもいいもの」かもしれません。ありがとうございます。

「どうにもならないものでも案外いいものです」
コロナになり始めてのわかちあい会参加でした。アイスブレイキングで介護で身動きが取れなくてストレスも溜まっている事が口に出てしまいました。私の周りの人からは心無い言葉が返ってきていたのでわかちあい会に出る前は落ち込んでいたのですが、フィードバックで「逃げ出さない忍耐力がありますね」「闇の中に沈み込まない強さがある」「踏ん張っていて、それを天使が応援してる」ととても驚きの言葉をいただき、嬉しい思いで一杯になりました。安心、完全の場にいるのだ

わかちあい会

2022年

わかちあい会

「真実はダイアモンドの原石」
周囲のうわさ、価値観に振りまわされる自分もあるが、どのような場面でも、自分の心に正直に真実を見極められるよう努力していきたいと思う。他者への愛も忘れずに。

「真実はダイアモンドの原石」
周囲のうわさ、価値観に振りまわされる自分もあるが、どのような場面でも、自分の心に正直に真実を見極められるよう努力していきたいと思う。他者への愛も忘れずに。

わかちあい会

2022年

わかちあい会

「震災が教えてくれたこと」
いろんなことが起こって たいへんな時もあるけれど、守られていること、愛されて(大切にされて)いることを感じられると元気が出るし笑顔になれる。
硬くなっていた心と体がほぐれて 自分の内側からも 優しい光が湧きだして来るような気がする。
大切にされていることに気付けるよう 時々、特にイライラした時とかにそのことに心を向けてみようと思う。
「あなたは何を語り掛けていますか」と瞑想が聴こえてきました。私の中から「まず私からいつも喜んでいなさい」と聴こえてきました。なぜなら周りは奇跡で溢れているのです。それは当たり前のことなのですが、しかし当たり前はなく奇跡だと思います。お花に水を上げて声をかけたり、おいしいごはんを食べておいしいことです。当たり前は無く「いつも喜んでいなさい」と皆が笑顔で、真ん中にまず私の笑顔の絵を描きました。

「震災が教えてくれたこと」
いろんなことが起こって たいへんな時もあるけれど、守られていること、愛されて(大切にされて)いることを感じられると元気が出るし笑顔になれる。
硬くなっていた心と体がほぐれて 自分の内側からも 優しい光が湧きだして来るような気がする。
大切にされていることに気付けるよう 時々、特にイライラした時とかにそのことに心を向けてみようと思う。
「あなたは何を語り掛けていますか」と瞑想が聴こえてきました。私の中から「まず私からいつも喜んでいなさい」

わかちあい会

2022年

わかちあい会

「一生を通して求めるもの」
絵を描く前、「絵、かけないかなー」って思っていましたが、安易に木の絵を描けば良いかと思い描きました。そしてそう言えば、電動自転車に変えてから神社の木の大きさに圧倒された事を思い出し、更に神社を描きました。そして、やはり、彼方の地平線を描こうと、で、今日のテーマと関連無いなと感じて居ました。でも、皆さんのフィードバックを得て、一生を通して求める物は、遙か彼方の地平線にある何かではなく、「今、ここ」を、「今ここで起きる自分の感情と生きることでしょう。」それによって、「充実してて楽しい」というのを、今ここで受け取り感じて行く事でしょうと思いました。そうすると、神社の木は、かつては、どんぐりの様に小さかったかもしれないのに、日々、何かになろうとする訳でもなく、神社の参拝者の祈りを毎日、毎日聞いて、時には強い日差しから参拝者を守り、時には強い風から守り、毎日、毎日、今、ここに生きて、幼木の時から、毎年、毎年、充実して、楽しいなって感じながら、そうして生きて大きくなったんだ。と思いました。

「一生を通して求めるもの」
絵を描く前、「絵、かけないかなー」って思っていましたが、安易に木の絵を描けば良いかと思い描きました。そしてそう言えば、電動自転車に変えてから神社の木の大きさに圧倒された事を思い出し、更に神社を描きました。そして、やはり、彼方の地平線を描こうと、で、今日のテーマと関連無いなと感じて居ました。でも、皆さんのフィードバックを得て、一生を通して求める物は、遙か彼方の地平線にある何かではなく、「今、ここ」を、「今ここで起きる自分の感情と生きることでしょう。」それに