「言葉はエネルギー」
「脳梗塞をした後のリハビリで、発声練習で、カラオケを特訓しました。谷村新司の「サライ」という曲を練習しましたが、その歌詞のごとく、「18歳で故郷を巣立った日
のことを」懐かしく思い出しながら、リハビリに励みました。あれから60年、歌の言葉に励まされながら、歩んできた人生です。」
アニメーター、サブアニメーターの穏やかな進行で、緊張することなく、臨むことができました。最初、この「言葉はエネルギー」のテーマをいただいた時、私には難解で、心に響きませんでした。しかし、アニメーターが読んでくださった時、「言霊」の文字が浮かびました。自分で自分を汚さないように、いい言葉を使いたいと思いました。絵を描いた時、参加者の方から、 主人と私の会話のようだ とのコメントをいただきました。また、つらい経験を経ての絵ではないか との言葉に私が病気をした時、主人は、文句ひとつ言わず、家事等をこなしてくれていた事を思い出しました。このテーマから「感謝」の言葉が導きだされたのが不思議です。終了した後、心地よい一体感のようなものを感じました。
言葉のエネルギーを感じることができるわかちあい会だったと思います。おひとりお一人のわかちあいが気づきと共に、エネルギーとして生きる力をくださったように思います。ありがとうございます。
私は身近な人達につもり積もった不満がある。イライラしている。しかし極力黙っている。この度のわかちあい会で気付く。(我慢して何も言わない)これも1つの方法だったんだと。しかし、瞑想の「自分を生かし且つ相手も生かす」を聞いて、そう言う言葉はないかと探って発言してみてはと思った。新たな発想です。長年のくせもあり生易しい事では無いです。振り返ると今まで時折我慢しきれず嫌みが吹き出していた。でもそこにプラスしてお互いを生かす言葉を考えてみる。早速そう思い考えるだけでも旨く言葉が出てこなくても視点が1ミリ今迄より良い方へ向くと実践してみて思った。今回の言葉はエネルギーの自分を生かし且つ相手も生かす言葉はないか~はメモをして大事にさせて頂きます。有り難うございました。
受講生の声一覧
2021年
わかちあい会
「言葉はエネルギー」
「脳梗塞をした後のリハビリで、発声練習で、カラオケを特訓しました。谷村新司の「サライ」という曲を練習しましたが、その歌詞のごとく、「18歳で故郷を巣立った日
のことを」懐かしく思い出しながら、リハビリに励みました。あれから60年、歌の言葉に励まされながら、歩んできた人生です。」
アニメーター、サブアニメーターの穏やかな進行で、緊張することなく、臨むことができました。最初、この「言葉はエネルギー」のテーマをいただいた時、私には難解で、心に響きませんで
2021年
わかちあい会
「一生を通して求めるもの」
分かち合い会に参加して、心が豊かになり、充たされたような想いになりました。温かな繋がりのある、まさに一つのコミュニオンが生まれていると思いました。
不思議にも、グループ分けの時から何かしら共通性が感じられて、親密な想いになるのでした。前回も同様でした。
表現された絵にはそれぞれのこれまでの生き方が反映されているようで、どの絵も光に向かっていると思わされました。 皆さんの絵や話から、様々な体験があって、今があり、苦難をも超えて来たからこそ、求めるものが明確になってくるのだとも思わされました。感謝です。
先日の有資格者セミナーでのわかちあいがとても心に残り、今月参加できる会をと案内を見ておりました。「一生を通して求めるもの」というテーマが目に飛び込んできて、日にちを確認したところ、計らわれたように参加が叶いました。
落ち着いた進行と温かみを感じる朗読と、自然体で操作説明してくださる担当皆様のおかげで、その場の調和を生み出していたように感じました。そして共に受け入れ合うその場の雰囲気が最初から感じられ、私自身も緊張せずに、自然体でいられたように思います。
最近何となく気ぜわしく、あれもこれもと意識があちこちに飛ぶ感覚だったので、心洗われるような大変心地よいひと時でした。
テーマについては、自分が最も大切にしていることと、常に求めている感覚を意識できたように思います。「本来の自分」に戻ることができれば、全て計らいの中で起こることと受け入れ、経験から何を受け取り、学び、そしてそれは必ず自己成長へつながるものと確信のような思いを強くしました。皆様の発表からも、同じようなものを感じました。
貴重なひと時を過ごすことができましたこと、心から感謝申し上げます。
テーマ「一生を通して求めるもの」が届いてからずっと考えて出した答えと、わかちあい会終了後に湧き上がった答えが違いました。前の答えは1人で考えたいわば頭を使った答えでした。分かち合った後に浮かび上がった答えは、心の奥深くに持っていたbeingからの言葉でした。この違いこそが、参加者が心を開いてわかちあって下さった結果であり、コミュニオンの力だと思いました。なかなか自分の殻から出難いのですが、1人では気付けなかった答えに素直に肯定できる場の力をも感じました。“自分自身との絆・他者との絆・人間を超えるものとの絆”この3つの絆を話し合えたわかちあい会に参加できたこと、準備して下さった担当者に感謝いたします。
この世で肉体を持って生きていったら、聖人ではないので、欲が無くなるのは非常に難しいし、また、どっかでまた、脱線するんじゃないか?まあ、最初っから、そういう次元に生きているみたいだし、こんなレベルでは、幸福を感じるためには、幸福じゃない出来事も幸福を感じるための礎となっているのではないかと言う事で、「愛ばかりの世界」の応用として「幸福ばかりの世界では、幸福のなんたるかが分からないので、幸福ではないのはどんな感じかをも、知る必要がある。」「おいしい物ばかり食べていたら、おいしい物がおいしいと分からなくなるので、まずいものも時々、食べる。」なので、幸福を幸福と感じさせてくれるために必要な幸ならざるものに対しても、感謝して行くのが筋ということ。不幸に対しても、不幸な状況に「ありがとうございます」と言う事だと、思いました。幸も不幸も包括して感謝して行った方がいいと思いました。
一方、そう言う「幸不幸、美醜、善悪」などの相対的な世界ではなく、それらを超越した絶対的領域もあると先生とかからも、聞いて居ます。「愛だけの世界」「幸福だけの世界」「光輝く光だけの世界」が。でも、自分のいる所からでは、体験出来ません。でも、皆元々、実はその絶対的領域に居たのかもしれなくて、「愛だけの世界に居た私達が、愛を知る為に、記憶を消されて、愛ならざるものを味わう為にここに来ている。」ってどこかで聞いた気がします。そして、当初の目的を、愛を知るために、この世界で皆、実体験しているのかもしれないと思いました。
「一生を通して求めるもの」
分かち合い会に参加して、心が豊かになり、充たされたような想いになりました。温かな繋がりのある、まさに一つのコミュニオンが生まれていると思いました。
不思議にも、グループ分けの時から何かしら共通性が感じられて、親密な想いになるのでした。前回も同様でした。
表現された絵にはそれぞれのこれまでの生き方が反映されているようで、どの絵も光に向かっていると思わされました。 皆さんの絵や話から、様々な体験があって、今があり、苦難をも超えて来たからこそ、求め
2021年
わかちあい会
5月8日(土)「すべてよし駅」
今回のテキストで「旅」という言葉が出てきました。僕は旅行はあまり得意ではありません。そもそも外出がそんなに得意ではない。だんだんと頭痛が出てきて、それでも無理して我慢していれば、例え耐えたとしても次の日はぐったり。理由はいまいちわからないのですが、僕の家ではあまり外へ遊びに行くことがなかったから、そういう体質になったのではないかと勝手に思っています。そんなインドア派でありますから、自分にとって旅というのはかなり遠い存在です。海外旅行なんて行ったら生きて帰られるのだろうか。じゃあ旅は嫌いかと言われるとそうではなくて、むしろ小さい旅はよくやっているし大好きです。というのも、僕は旅と日常の重要な違いは「姿勢」だと思うのです。旅というのは自分の姿勢を「知らない」という純粋な状態にすることが大事だと思うのです。自分の普段過ごしてきている環境とは違うところに身を置くことで、子供の頃のような新鮮な刺激を受けれる。でもそれは環境がどうとかじゃない。日本に住む私にとってしょうもない環境だったとしても、ドイツに住む人からしたらまったく新しく面白い環境なのです。環境は同じで、人が違うだけなのです。だったらどんなに見慣れた地元も、自分の部屋も、目の前に転がる鉛筆も、姿勢さえ変えればそれは旅になると思うのです。テキストに「生きることは旅。」とありましたが、それをちゃんと認知することが大事であり、それは旅に出かけることというより、旅にできる力が大切なんじゃないかと思うのです。「すべてよし駅」とは待てば着くものではなく、つまらなかった仕事の帰り道を旅に変えられた時、それは「すべてよし駅」だったことになると思います。失敗か成功かとか、幸せか辛いかではない。
もはやそれらは旅における要素でしかないのです。そういう自分は最近どうだったろうか。ちゃんと旅しているのか、また焦っておざなりになってきているのではないか。そういう振り返りがわかちあい会の中でできました。わかちあい会はそういった自分にとってのチューニングみたいなのができるのも魅力の一つだと思いました。
降り立つどの駅ももしかしたらすべてよし駅なのかなあと思いました。そこは、すべて思う通りにいく駅でもなく、すべて幸福駅でもなく、結構苦しいのですが。よいということの深遠さを思いました。
・今まで降り立った駅は、すべてよし駅とは思えない駅も結構あるのですが、実はすべてよし駅だったと気付く時がくるんだろうか、その時を楽しみにしたいと思います。
・大きな石がゴロゴロしているとき、葛藤に見舞われているその最中で「ああ、すべてよし駅!」と思えればいいなと感じました。
・今回は、私とはタイプの異なる方からの絵やわかち合って下さったことに教えられました。私も、自分のうまくできなさばかり見つめるのではなく、はったりでもよいので、遠く目標をしっかり見つめてみようと思いました。
5月8日(土)「すべてよし駅」
今回のテキストで「旅」という言葉が出てきました。僕は旅行はあまり得意ではありません。そもそも外出がそんなに得意ではない。だんだんと頭痛が出てきて、それでも無理して我慢していれば、例え耐えたとしても次の日はぐったり。理由はいまいちわからないのですが、僕の家ではあまり外へ遊びに行くことがなかったから、そういう体質になったのではないかと勝手に思っています。そんなインドア派でありますから、自分にとって旅というのはかなり遠い存在です。海外旅行なんて行ったら生き
2021年
わかちあい会
「真実はダイヤモンドの原石」
皆様のお話や絵から、色んな出来事で人は乱気流に巻き込まれて、上がったり下がったりするけれど、秀子先生やコミュニオンでの出会い、学び、本、人の助けやふれあい等が、乗り越える大きな力になっている、と改めて思いました。なるべく深く沈まないように、凝り固まらないように、そして上ってきたら、なるべく平常心で穏やかにいられるように努力したいと思います。遠くの方、久しぶりの方とお会いできることは素敵だと思いました。
今回は自分自身に落ち着きがなく混乱気味で、考えのまとまりや瞑想に集中できなかったのですが、最近よく考える「親心」について、参加者の方々からお話を聞くことが出来て、自分にとってとても良い時間を過ごすことが出来ました。自分には子供がいないために、親心については実感がなく想像でしかないのですが、参加者の方のお話のなかに子供に対する愛がとても感じられて驚きと共に、親ってすごいと思えるところが沢山みつかりました。2年前に父親を亡くし、一人になった母親に出来るだけ寄り添っていきたいと思いました。
世間の常識や周囲の人の価値観にとらわれて後悔したことを思い出すのはあまり嬉しくない作業だなと最初は思いましたが、コミュニオンで学びを深めて来た方達とのわかちあいで、安心してお話することができ、とても穏やかに自分を振り返ることができました。ありがとうございます。
「真実はダイヤモンドの原石」
皆様のお話や絵から、色んな出来事で人は乱気流に巻き込まれて、上がったり下がったりするけれど、秀子先生やコミュニオンでの出会い、学び、本、人の助けやふれあい等が、乗り越える大きな力になっている、と改めて思いました。なるべく深く沈まないように、凝り固まらないように、そして上ってきたら、なるべく平常心で穏やかにいられるように努力したいと思います。遠くの方、久しぶりの方とお会いできることは素敵だと思いました。
今回は自分自身に落ち着きがなく混乱気味で、考
2021年
わかちあい会
「隣人になるとは ・・」
自分が受ける優しさを素直に受け取る大切さと隣人に優しさをもって接する大切さそれは「自分はうれしくてしている」こと、だから見返りなど期待しない。そんな心の持ち方を再確認しました。
人のやさしさは日常の生活で何気なく語る言葉やしぐさの中にあり、日頃よりそのことを踏まえて生きていかなくては。
「隣人になるとは ・・」
自分が受ける優しさを素直に受け取る大切さと隣人に優しさをもって接する大切さそれは「自分はうれしくてしている」こと、だから見返りなど期待しない。そんな心の持ち方を再確認しました。
人のやさしさは日常の生活で何気なく語る言葉やしぐさの中にあり、日頃よりそのことを踏まえて生きていかなくては。
2021年
わかちあい会
「太陽からの贈り物」
・大いなる存在や自然を通して、いつくしみを体感として感じることができるように思うのですが、どうも人から受け取っていると感じることができないのはどういうことなんだろう・・・としばらく考えました。大いなる存在や自然を前に、私は私自身としてあるけれども、人の前では自分自身ではいないのだろうなということに気付きました。人から愛を受け取れないようにしているのは、もちろん私自身がしていることなのだけれど、どうしてなんだろう。少しずつ受け取れるよう意識していきたい。
・月が太陽の光を反射して光るように、いろいろな存在が私に向けて太陽の光を届けてくれる。私もまた、太陽の光を反射していることに気付きました。
・満開の桜の日に公園を歩くことができたのは、当たり前のように感じていたけれど、風などのタイミングで絶妙なめぐり合わせだったことで、自然から元気をもらっていると感じられていたのも実は、大きな計らいだったなあと感謝しています。
テキストの中ではお母さんは、愛とエネルギー、子どもは、やさしさとたくましさをもらったのですが、私はあの時公園を歩いて何をもらったんだろう・・と考えました。心の平穏だと思いますが、タイプ9の私の求めているものと一致していたなあと思いました。
・やっぱりZOOMを通して参加できることを有難く思っています。
心配しなくても愛されている事、大きな存在に守られている事、雨雲は(やっぱり)自分が作っている事、沢山の人に愛をもらっている事に気がつきました。愛と勇気と温かさと励みになる言葉を頂きました。m(__)m
ナレーションで、「行き詰まった時、大いなる物に包まれた事ありますか?」と言う所に自分は反応しました。「包まれた事」は、思い浮かばない様な気がしました。そもそも、「大いなる物なんて、感じた事あるかな~」と思います。大いなる物を感じたら、それに、すぐに包まれそうです。ただ、自分が「行き詰まってた時」のこととして、平成29年3月のアイビーホールでの、先生の講話会を思いだしました。あの時の話しで私は、異動の関係で、自分の凹んだ気持ちが、講話会が終った時なくなっているのに気づきました。「あれ、嫌な感じがなくなっている。」自分としては奇跡です。講話のどこかが、自分の凹み回復に効果だったのだろうかと、通信を読み返してみました。「幸福の線」「ストレス対処法」「お役にたつ事」「脳の片付け法」「言葉の入れ替え法」。「思い込み」には「必ず辛い事が起り、その事を通して、あれは思い込みだったと目覚めるチャンスが与えられる。
」とあり、この「思い込み」のお話が自分の回復に関係していたポイントだった気もします。でも、もしかすると、講話の中の「言葉」によるものじゃなかったのかもと思いました。内的に先生の送ってくださる慈愛につながり、感じられるのではないかと思います。それは自分の「内」に、フィーリングとして、「気」等として、自分の中に流れ込んでくるのか、湧いてくるのか分かりませんけど、そんな物じゃないかなと思いました。
結論は、外的に耳から言葉で受け取るのにも、言霊とか癒やしはあると思いますが、それと別に、内的に慈愛やMESSAGEや叡智を、内からの感覚、FEELINGで受け取れるよう、今後、意識を向け、感謝して行きたいと思います。
「太陽からの贈り物」
・大いなる存在や自然を通して、いつくしみを体感として感じることができるように思うのですが、どうも人から受け取っていると感じることができないのはどういうことなんだろう・・・としばらく考えました。大いなる存在や自然を前に、私は私自身としてあるけれども、人の前では自分自身ではいないのだろうなということに気付きました。人から愛を受け取れないようにしているのは、もちろん私自身がしていることなのだけれど、どうしてなんだろう。少しずつ受け取れるよう意識していきたい。
2021年
わかちあい会
「一人ひとりが光の存在」
光という抽象的な言葉からどのような学びをするのだろうと少し緊張しながら参加しました。光を瞑想しながらそれぞれ描いた絵は様々でした。強い光、小さいけれど温かい光、柔らかい光、大きくてまばゆい光・・・。わかちあう中でどの光もその人にとって大切な光だと思えました。2時間は短く、もっと時間が欲しい気がしました。もう少し深めたかったかなと自分では感じています。
7、8年ぶりに参加させていただいたわかちあい会。オンラインでのわかちあい会があることを教えてくださった方。アニメーターをしてくださった方。アイスブレーキング時間 ご一緒してくださった方。Zoomの画面上でも、お会いでき、お声をきくと、7、8年ぶりなのに、ほんのついこの間お会いしていたような感覚になっていました。テキストを読んでいただき、ともに読んで、瞑想して、ひろがったイメージを描いてゆく。描いていくうち、星を書き始めると、思考ではなく、ただ自然に、置きたい色を置きたいところに、
次はこれ、次はここ…とただただ置いている…というようなプロセスになり。そのプロセスのなかでここまでの7、8年間も、いや、もっともっとずーーーっとあるすべて。すべての時空がここにあり、響きあい、循環しあい生きている。生かされているのだなぁ。そんなことを深く自分の中の気づきとしてうけとることができた、とても尊い時間でした。ありがとうございました。
皆さんのわかちあいから、光はとても温かいものと感じることができました。瞑想では光からのメッセージを受け取ることができました。ありがとうございます。
久しぶりの分かち合い会、しかもオンライン.わくわくドキドキしながら受講しました。絵を描くのも久しぶり。様々な色を使って手が動くまま描き、すっきりしました。心の中を振り返り、又皆さんからフィードバックを受けて気づく事は、大切な作業だなと改めて思いました。朝日のまわりに、色々な形や色の光を抽象的に描いていましたが、無意識に大切なものを描いているのだなと気づきました。画面を通してですが、皆さんの絵から癒しやエネルギ-を得ることができました。翌日、仕事先の利用者の方から、「今日は一段と元気がいいね。」と言われました!効果ありでした。
今日は初めての参加の方が多くいらして、とても楽しみにしておりました。初参加の方とわかちあうことにより、つながり・一体感を感じて終わることができ嬉しかったです。
テーマ通りに、私を光で表しました。それは大いなるものに守られている喜びがあり、黄色で表現しました。そして私は今、その方その方をありのままで受けとめようと努めています。私から放つ光を淡いピンクで描きました。あたたかな雰囲気とエネルギーが伝わってくると、フィードバックを頂いて、これまた嬉しかったです。お一人の方の描いたロウソクの絵から、高校生の時の想い出が甦りました。それは学寮といって、校内にある寮にクラスメートと寝泊まりして、通学するシステムです。食事も皆で作っていただきます。夜には部屋を暗くして輪になって、一人ひとりがロウソクに灯をともし、その灯を見つめながら、思い思いに心の内面を語ります。それがわかちあい会だったのだと、今頃実感しました。わかちあうことのすばらしさ、そして皆さんとの心のつながりが深まったわかちあい会でした。ご担当の皆様ご参加の皆様、ありがとうございました。幸せ発信地を目指します。
「一人ひとりが光の存在」
光という抽象的な言葉からどのような学びをするのだろうと少し緊張しながら参加しました。光を瞑想しながらそれぞれ描いた絵は様々でした。強い光、小さいけれど温かい光、柔らかい光、大きくてまばゆい光・・・。わかちあう中でどの光もその人にとって大切な光だと思えました。2時間は短く、もっと時間が欲しい気がしました。もう少し深めたかったかなと自分では感じています。
7、8年ぶりに参加させていただいたわかちあい会。オンラインでのわかちあい会があることを教えてくださっ
2021年
わかちあい会
「全人類が織り成す織物の模様は?」
自分の存在の意味について考えることができました。 こんな自分でも誰かの役に立っているかもしれないし、1つのパーツをになっている世界の一員だということ。少しパワーがない今ですが、自分のことを大切にしてあげられ、人のためにパワーを与えられたら、自分が喜ぶんだなぁと気づきました。コミュニケーションが、苦手な私にとって、絵で表現は、面白かったです。
人類との調和、それぞれが個ではあるけれども、大切な存在。 自分の役割を自信を持って、やり遂げようと思った。感謝された時の、喜びのカラーは私はオレンジ色だと感じました。今の私で良いんだと思えました。パステルで自由に童心に戻り、好きな色で描け楽しかったです。
今日のテキストを学び、私の人生を丁寧に生きていきたいと思います。人と関わる時、冷静に自分の立場を見据えて、相手と向き合うことを、大切にしていきたいです。これまでの人生は、浅くしか、関わらなかった分、自分の気持ちは何なのか、どうしたら良いのか、迷ってばかりでした。少しずつそれがで、できるようになってきて、自分の軸ができ、人が恐ろしくなくなりました。自分への自信もついてきました。
表と裏は表裏一体。裏でどんなことに出会っていても、それは必ず素敵な織物の一部になっている。表と裏とでひとつなんだと。改めて、このことの意味を感じ直しました。「自分なんて」と、思ったことはなかったが…今までどんなにも、そのことにしばられてきたか…。何を成さなくても、いまこの私の担当する、ひと区画を、私なりに調和とやすらぎと、無条件の愛(自分への愛)で、丁寧に織り上げていくことに、心を向けていきたいと思います。久しぶりの参加と、なりましたが、日常触れ合うことのない人間関係と繋がり、これも見えないところでは繋がっていることを体現していると改めて感じました。
「全人類が織り成す織物の模様は?」
自分の存在の意味について考えることができました。 こんな自分でも誰かの役に立っているかもしれないし、1つのパーツをになっている世界の一員だということ。少しパワーがない今ですが、自分のことを大切にしてあげられ、人のためにパワーを与えられたら、自分が喜ぶんだなぁと気づきました。コミュニケーションが、苦手な私にとって、絵で表現は、面白かったです。
人類との調和、それぞれが個ではあるけれども、大切な存在。 自分の役割を自信を持って、やり遂げようと思
2021年
わかちあい会
「錨を上げて」
先生が、「あなたを創った方は、許して下さってるのに、許してあげていないのは、あなたです。」って言ってたのを思い出しました。(というか、しょっちゅうこの言葉は、思い出しているのですが)。自分で自分を許さないから何かアクションをしてしまって、結局、なかなか、改善しない自分をまた責めたりして、結局、負のスパイラルって言われるものに入って行く。まあ、このことは笑える人間らしさという気はします。「自分は嫉妬深い。」「自分は、欲深い。」とか、それって相対性の話しじゃないの。誰にでもある、一般的な人間的には備わってる性質じゃないの(先生は分からないのですが)。そして、それ自体はニュートラルなエネルギーなので、それをただ、責めずに認めていくのが良策かと思いました。(実際、結局皆そうしてると思いますが。)そして、放置してて良いんじゃないのかって。ただ、人生のどこかで、つまずく石コロにはなるかもしれないので、その時、苦しみながらも対処すれば良いんじゃないのかって思いました。その時に、そのつまずきは、「あの人」のせいではなく、自分の中にある「欲等」が、自分を苦しめてたんだ、などと、その時に気づければ幸いかなと思いました。本当は、私達を創った方とのコンタクトが取りたいなと思います。
「錨を上げて」
先生が、「あなたを創った方は、許して下さってるのに、許してあげていないのは、あなたです。」って言ってたのを思い出しました。(というか、しょっちゅうこの言葉は、思い出しているのですが)。自分で自分を許さないから何かアクションをしてしまって、結局、なかなか、改善しない自分をまた責めたりして、結局、負のスパイラルって言われるものに入って行く。まあ、このことは笑える人間らしさという気はします。「自分は嫉妬深い。」「自分は、欲深い。」とか、それって相対性の話しじゃないの。誰に
2021年
わかちあい会
「思考こそ創造の原点」
瞑想の誘導に「積極的な考えを持ったことで、うまくいったこと・・・」という言葉がありました。先日家庭で起こったテレビのチャンネル権争いを思い起こしました。本当に積極的なことは、その争いに勝ち抜くことではなく、今テレビを観ることは自分にとって本当に必要なのか?と改めて自分に問い、生活全体を見直すことだなと思いました。何か問題が起こった時、自分の主張を通すことにエネルギーを注ぐことが必要なときもあるでしょうが、解決のための選択肢をいくつも考え、その中から何を選ぶかを決めていく積極性が「自分の人生を作っていく力」なのではないかと思いました。いただいたフィードバックで考えがまとまり、ありがたかったです。
「思考こそ創造の原点」
瞑想の誘導に「積極的な考えを持ったことで、うまくいったこと・・・」という言葉がありました。先日家庭で起こったテレビのチャンネル権争いを思い起こしました。本当に積極的なことは、その争いに勝ち抜くことではなく、今テレビを観ることは自分にとって本当に必要なのか?と改めて自分に問い、生活全体を見直すことだなと思いました。何か問題が起こった時、自分の主張を通すことにエネルギーを注ぐことが必要なときもあるでしょうが、解決のための選択肢をいくつも考え、その中から何を選ぶか