NPOコミュニオン国際コミュニオン学会

受講生の声一覧

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「愛するゆえに」
亡くなった人であなたの幸せを願っている人を思い浮かべてみましょう。その人の愛情を感じてみましょう・・・と瞑想をしました。不思議なもので亡くなった父が腹を抱えて笑っている顔を思い出し、よく感じていると、今ここで父と一緒にいるようなあたたかな気持ちになりました。父の死は、最悪だけれども最良だったと今となっては納得できていますが、ほんの時々、「お父さんは死んでしまった。」と途方に暮れた気持ちになることがありました。「なんだ、こうすればいいのだな・・・」と思いました。いつでもどこでもコンタクトできます。
大切な人を亡くすという体験を分かち合っていて、廊下の電気がひとりでに点灯したり、「今トイレなの?」と亡き母の声が聞こえたり・・・「貞子か!」とも思えるような体験も聞かれて(実は、私も話はしませんでしたが、そんな体験をもっています。)亡くなった人はお茶目なことをするし、亡き人とのつながりは結構現実的だなあと面白くなりました。
愛するゆえに、死がある。どうしようもない悲しみではあるけれど、大切に思われていた、大切に思っていたからなんですね・・・。父の死をやっとこさ乗り越えた私には、勇気が必要ですが、これからひとつでも多くあの途方もない悲しみを体験していけるよう生きたいと思います。

「愛するゆえに」
亡くなった人であなたの幸せを願っている人を思い浮かべてみましょう。その人の愛情を感じてみましょう・・・と瞑想をしました。不思議なもので亡くなった父が腹を抱えて笑っている顔を思い出し、よく感じていると、今ここで父と一緒にいるようなあたたかな気持ちになりました。父の死は、最悪だけれども最良だったと今となっては納得できていますが、ほんの時々、「お父さんは死んでしまった。」と途方に暮れた気持ちになることがありました。「なんだ、こうすればいいのだな・・・」と思いました。いつ

エニアグラム

2021年

エニアグラム初級・中級 ・親子

突然途中からの参加をさせていただいたのですが、快く受け容れていただき、有難うございました。皆様いろいろなワークをされた後の感想もおっしゃっていて、参考になりました。私自身は、子供の性格の違いを感じていて、違和感があったのですが、同じタイプと思われる方々の“とにかく行動してみて、ダメならあきらめる“とおっしゃった事に子供の共通点を見つけたような気がして、そんな風に考えていたのかと子供のよさを発見する機会にもなりました。子供の事を上から押さえつけて、決めつけていたなぁと反省しました。きっと何回か参加させていただくうちに、いろいろ発見できるようになるのだと思いました。
今回は、3つのセンターの違いについての理解が深まりました。それぞれのセンターに属する方々のお話が大変興味深く感じられました。私自身がどれなのか、ということについてはまだまだ時間がかかりそうです。来月も楽しみにしております。

突然途中からの参加をさせていただいたのですが、快く受け容れていただき、有難うございました。皆様いろいろなワークをされた後の感想もおっしゃっていて、参考になりました。私自身は、子供の性格の違いを感じていて、違和感があったのですが、同じタイプと思われる方々の“とにかく行動してみて、ダメならあきらめる“とおっしゃった事に子供の共通点を見つけたような気がして、そんな風に考えていたのかと子供のよさを発見する機会にもなりました。子供の事を上から押さえつけて、決めつけていたなぁと反省しました。きっと何

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「闇に射し込む光」
自分の心の中のやすらぎに満たされているとき、それは温かな光を浴びているような気持ちの時であり、幸せを感じる時だ。 他と比べたりして自分をおとしめたりせず、神は大切な存在として、自分を常に見守っておられるのだと感じられる時、やすらぎは保たれるのかもしれない。 苦しみの渦中にある時は、まるで虫眼鏡で拡大して、その苦しみだけを見つめているかのようだった。しかし、苦しみの周りには広い世界が広がっていて、助けの光が差し込んでいた。その助けの光をいっぱい頂いて苦しみを通り抜けた今だからこそ、やすらぎの大切さを身にしみて感じられるのだ。
初めて、オンラインわかちあいに参加しました。札幌から気軽に参加することができ、とても嬉しく、ありがたく思いました。わかちあいは日常生活の中で知らず知らずに溜まって行く心の澱に気づかせてもらえ、お掃除できる感じがします。今日は、参加者が感じる安らぎを分かち合っていただけて、リフレッシュできました。ありがとうございます。
コロナ禍の緊急事態宣言が未だ解けず、仕事は在宅勤務を強いられています。ほんのこの前まで通勤に片道1時間半かかる事が苦痛に思えていたことも、今では週一回カラダを動かして通勤する事が楽しみです。今日のテキストからディスカッションのテーマになったことは“安らぎ”でしたが、今の私はカラダを動かすことや、仲間と直接会って活動することが“安らぎ”に通じるのだと気付きました。また、参加された皆様の言葉に耳を傾けることで得られる充足感も、わかちあい会ならではの感覚で、安らぎました。ありがとうございました! 
やすらぎにつながっているときは、自分が支えられて守られていることを感じているときだと、実感できました。ふだんの生活では出来事に左右されてしまってそれを忘れがちになります。この場でわかちあって応援してもらい、自分に言い聞かせることができてよかったです。

「闇に射し込む光」
自分の心の中のやすらぎに満たされているとき、それは温かな光を浴びているような気持ちの時であり、幸せを感じる時だ。 他と比べたりして自分をおとしめたりせず、神は大切な存在として、自分を常に見守っておられるのだと感じられる時、やすらぎは保たれるのかもしれない。 苦しみの渦中にある時は、まるで虫眼鏡で拡大して、その苦しみだけを見つめているかのようだった。しかし、苦しみの周りには広い世界が広がっていて、助けの光が差し込んでいた。その助けの光をいっぱい頂いて苦しみを通り抜

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「いきいき生きる」
今こうしてあるということに、感謝して過ごすと、笑顔になり、その笑顔の波動が周りをも明るくしてくれて、人ともつながっていく。皆さんと話していて、強く思えました。充実した時間でした。
・自分を幸せにすることが、自分の周りの人たちを幸せにすること。
・半分の水が入ったコップを見て、半分もあると思うか、半分しかないと思うか。自分の思い方次第で、人は幸福にも不幸にもなる。
・人の想像力は無限で、イメージや思いは人それぞれ違って、その違いが非常に面白い。
・自分は絵を描くのが苦手なのだが、わかちあい会ではみんなが自分の絵を認めてくれるので、描く勇気をもらえた。

「いきいき生きる」
今こうしてあるということに、感謝して過ごすと、笑顔になり、その笑顔の波動が周りをも明るくしてくれて、人ともつながっていく。皆さんと話していて、強く思えました。充実した時間でした。
・自分を幸せにすることが、自分の周りの人たちを幸せにすること。
・半分の水が入ったコップを見て、半分もあると思うか、半分しかないと思うか。自分の思い方次第で、人は幸福にも不幸にもなる。
・人の想像力は無限で、イメージや思いは人それぞれ違って、その違いが非常に面白い。<

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「波と一緒になって」
ここでの波って、「なんかの比喩として使われてるのか?」私はどうもそうゆう比喩に結びつけて考え、解釈したくなります。と、そんな自分に気が付きました。と言うか、大体、既に擬人化してるし、例の人も例えで話したと聞いているし。です。
「決して眠らない」と言えば、人間の「想念、感情」も眠らないかな?深い眠りの時も、レム睡眠の時も結局、機能してて「決して眠らない」でしょっ。しかも、毎日毎日、眠らないだけで無く、今生だけでなく、そうで。皆それを知ってるようで忘れてるのか?そんな風にして、私たちは今日、遙かなる時を過ごして、ここまで来てるらしい。
想念とか思いとか感情とか、人の内面で起ってくるものは、止まれない。波の様に「眠らない。」そして、永遠に続いて「とどまる事を知らない」。それを砂浜に座って今ここで見ている。何億年も前から、波は永遠に打ち寄せて来てる。以前は波の中にいて時々うねりに巻き込まれる事が多かった。いや、今でもそうだ。今という時間軸だけで無く、三次元的にも、地球は、丸くないはずで、ずっと海は永遠に平らで、端はなく続いている。その遙か彼方から波はやってくる。永遠の彼方からやってくる。
凪いでいる時も、うなり狂っても、見た目は違えども、すべての波は、本質的には同じ塩分濃度の塩水。風があるとき、波は騒がしく、でなければ穏やかで過ごしやすい。しかし、地震の時は時に、津波になるけど、荒ぶっているのは表面だけ、ほんのちょっと深く潜って行けば魚たちは、そんなの関係ねーと泳いでるだけ。そもそも、深海魚たちは、波の存在も、海水の存在さえ意識する事なく泳いでる。比較対象がない。「空気という物がある」と長老の深海魚が言う。若い深海魚達は信じられない。空気を見ようと冒険に行った深海魚で、戻ってきたものはいるのか?皆、破裂してしまったのか?それとも水圧の軽快さで、「もう私には駄目、重くないと。」と戻って来たか?愛しかない世界では「愛」のなんたるかが分からない。波は、探していた、「量的変化が質的変化をもたらす物」として、良い例に出会えた気がしました。
桃源郷にいるような生活の中、つまりはいつも凪いでいて、深い入り江の穏やかで荒れる事のない波ばかり見ていると、時には荒ぶる波に会いたくなるのか?と言っても、思い出せば、そんな大波に何度か見舞われ、天と地が分からなくなるほどパニクって、情緒も不安定になり、そんな経験から、結局、面従腹背の浮き袋を覚えて行って溺れずに生きながらえて。でも、そんな風にしてでも、荒ぶる波に巻き込まれないと、ニカワでくっついたプライドも欲も洗い流せないのか?と思いました。だからって、荒ぶる海にあえて船出はしたくない。怖い。世界一周ヨットの単独行も夢とロマンの中での困難なので、彼の苦悩に比べたら辛いことじゃないかなって思えました。いや、実は、深いところでは同じ船出かも。
今日はずっと心がザワザワしていて、瞑想もなかなか出来ずにいたのですけど、瞑想の最後のほうに、沢山の星が輝く宇宙空間と一体になって、穏やかな波に揺られる自分が見えて、とても気持ちが安らぐことが出来たのがとても嬉しかったです。
心がザワついているときでも、ゆったりくつろいでいる自分がいるんだということに気づきました。
これは理想ですけども、心がザワついていてもそれに巻き込まれずに、それを楽しめるくらいの自分でありたいなぁと思いました。
浜辺に佇み、寄せては返す波の音に耳を傾けていると、地球の鼓動に包まれているような安堵を感じました。しかし自然がいつも優しいわけではなく牙をむく時もあるのだと思うと、安泰を与えてくれる完全な場所がある訳ではないのだと、いつしか意識は自分の住む都会へと戻っていました。
どこであってもその場所で自分の在り方を見つけ続ける生き方をするとき、それがいちばんの安定なのではないかと思いました。
自然からひと時恵みを受け取り、自分の居場所へと、落ち着いた気持ちで戻っていけたように思います。
心の中が不安感などに支配されざわざわしている時はおおいなる存在からのメッセージ、大切なものはうけとれないと思いました。大病から回復された参加者から、例え、長く一緒にいられなくても共にいられる僅な時間に愛されたことは、そのかたを愛で一生を包み幸せで満たしていることを知りました。
「同じ様な事を話すのは、beingの世界に繋がり大切な事だから」beingの世界に繋がっていらっしゃるその方が、眩しく、その方の言葉が力強く胸に響きました。
わかちあい会後、その方の生い立ちが母と重なっていることに気付き、母の気持ちに寄り添うことに繋がりました。
有り難うございました。

「波と一緒になって」
ここでの波って、「なんかの比喩として使われてるのか?」私はどうもそうゆう比喩に結びつけて考え、解釈したくなります。と、そんな自分に気が付きました。と言うか、大体、既に擬人化してるし、例の人も例えで話したと聞いているし。です。
「決して眠らない」と言えば、人間の「想念、感情」も眠らないかな?深い眠りの時も、レム睡眠の時も結局、機能してて「決して眠らない」でしょっ。しかも、毎日毎日、眠らないだけで無く、今生だけでなく、そうで。皆それを知ってるようで忘れてるの

ベルセミナー

2021年

ベルセミナー

ベルセミナー小品「ふるさと」
初めてベルセミナーを受講致しました。瞑想して、歌っている時には思いもしなかった幼い頃の思い出が浮かび幸せで温かい気持ちになりました。
ベルリーダーの優しい笑顔に語りかけるような進行にリラックスできました。
テキストを朗読された方の言葉のひとつ、ひとつが心?に振動をおこし、波紋の様にひろがる体験をしました。言霊?朗読された方の波動と共鳴?貴重な体験いたしました。次回開催楽しみにいたしています。有り難うございました。
小さい頃に、ただただ遊んで眠って過ごしていた日々や訪問客の多かった家の事を思い出しました。どんな人達と関わって生活していたのかを、もう50年も前のことなのにはっきりと思い出すことが出来ました。近所の大人の働く姿や、いたずらして叱られたことも自分の成長に大事な事でした。家族の間には様々な事件やドラマがありましたが、思い出すことは楽しいことばかりなのはどうしてでしょう。ふるさとは心の中にあることに今日気づくことができました。

ベルセミナー小品「ふるさと」
初めてベルセミナーを受講致しました。瞑想して、歌っている時には思いもしなかった幼い頃の思い出が浮かび幸せで温かい気持ちになりました。
ベルリーダーの優しい笑顔に語りかけるような進行にリラックスできました。
テキストを朗読された方の言葉のひとつ、ひとつが心?に振動をおこし、波紋の様にひろがる体験をしました。言霊?朗読された方の波動と共鳴?貴重な体験いたしました。次回開催楽しみにいたしています。有り難うございました。
小さい頃に、ただただ

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「錨をあげて」
自分の欠点、嫌なところは見方を変えればよいところなのだと気がつきました。私はあれこれやりたいことがいっぱいあって、いろいろなものにすぐ手を出してしまう、参加してしまうのですが、つまり自分で自分をあっぷあっぷ、忙しくさせているのですが それが自分の元気の源なのだと思うことができました。

「錨をあげて」
自分の欠点、嫌なところは見方を変えればよいところなのだと気がつきました。私はあれこれやりたいことがいっぱいあって、いろいろなものにすぐ手を出してしまう、参加してしまうのですが、つまり自分で自分をあっぷあっぷ、忙しくさせているのですが それが自分の元気の源なのだと思うことができました。

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「私と仲良し」
深呼吸したり、静まったりして「生きていて良かった。」と思えた時について思いめぐらせました。27年前の交通事故で「私は生きている。有難い。」と思ったことを思い出しました。そんな体験も日常生活にかき消されていましたが、命があることだけで尊いことだったんだと改めて思い返しました。「『私は本当に人生を全うした。』と感じながら死んでいくことができるでしょうか・・・」ということを分かち合っているうちに、自分がありのまま感じていることを認めること、自分自身として居留まることが自分と仲良くなることであり、最終的にそのように死を迎えることができるのではないかと考えていると、自分自身であることは、それだけでとても尊いことなんだと実感することができました。普段は自分自身をあれこれジャッジしているので、初めての実感でした。
「人生を全うした」と言って死んで行くことが出来るためには、どういう人間になったら?と言う問いがまずありました。
他のコースでも「どんな自分になりたいか?」を発表した事がある気がします。「人の思惑に左右されない自分になりたい。」「いつも明るく元気な自分でいたい。」「自然の美を感じて生きて行きたい。」とか、「いつも人に優しい自分でいたい。」とか人の数だけ限りなく出てくる様な気がします。でも、皆、理想像なので、そこに到達、維持するためには、大変だと思います。なのであんまり気を入れすぎると、現実とのギャップに苦しむ事になりそうです。そして、そうなると、そんな自分が嫌いとか、なかった事にして心を隠蔽とかしてしまう、と思いました。
しかし、テキストでは、その後に、「人生を全うした」と言って死ぬためには「自分自身と仲良くなること」と答えのようにありました。(と感じました。)で、今度は自分自身と仲良くするためにはどうするかと言う事でどうなんだろうと思いました。取りあえずは、自分に対して「傾聴基調」で、かなと思います。自分を審判しない。批判しない。非難しない。責めない。叱咤激励しない。さらには、褒めない。ただ、あるがままの自分を認めてあげる。ただ、寄り添う。一緒にいる。自分のBEINGだけを見ていく。ってそんなところかなと思いました。まあ、それにしたって「自分と仲良しの自分」になるっていうのも理想像かもしれませんが、仲良しになるのは「度合い」にかかっているとわざわざ書いてくださっているので、「度合い」次第で、葛藤は起こりにくい気がします。
「仲良しの友達だからこそ、厳しいことをいうけどさ~」なんてのは、無しで、ただ一緒に奈落の底まで付いてってあげるよ。って感じなのかなと思いました。
参加後にいろいろなことが湧いてきました。皆さんのお話からたくさんのものをいただいたからなのでしょう。「私はほんとうに人生を全うした」と感じられるかどうかは、"いま、この時の自分を生きる"ということと結びついているのかなと感じました。一昨年体調を崩したこともあり、人生の行き着く先が死ではなく、ある日突然生から死へと移ってしまうこともあるのだと感じてから、なんでもない日常を以前より愛おしく感じるようになりました。時々「私はほんとうにこれで死んでもいいと思えるほどいま生きているか?」と自分に問うてみていると、ああでもないこうでもないと常にもやもやしたものが渦巻いている自分が、"いま、この時の自分"にすっと集中できるような感じがします。先のことは今の延長線上にあり、その延長線がどこまで伸びているかもわからないいま、自分に足りないものに煩わされている場合ではないなと、なんかボロボロといらないものが剥がれて、等身大の自分に立ち返ることができるような感覚?でしょうか。そんな時こそ何ものにも替え難い充実の中にいるのかもしれないです。そんなふうな感覚を時々ふっと持てるようになったのは、幸せなことだなあと思いました。ありがとうございました。

「私と仲良し」
深呼吸したり、静まったりして「生きていて良かった。」と思えた時について思いめぐらせました。27年前の交通事故で「私は生きている。有難い。」と思ったことを思い出しました。そんな体験も日常生活にかき消されていましたが、命があることだけで尊いことだったんだと改めて思い返しました。「『私は本当に人生を全うした。』と感じながら死んでいくことができるでしょうか・・・」ということを分かち合っているうちに、自分がありのまま感じていることを認めること、自分自身として居留まることが自分

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「あなたの中に小さな子供がいます」
苦手なテーマをあえて選びました。いつも私の中の子どもは幼稚園の時の私で、バスケットを持って、白いフリルのついたエプロンをかけ、楽しそうにしている小さな子どもでした。今日その子どもは、「いつも頑張っているね」と私の頭をなでてくれています。だんだん絵を描き進むにつれ、その子どもが私の亡くなった母になりました。事実、母はいつも私を守ってくれている実感があるからでしょうか、母が私の頭をなでてくれています。そう思っていたら、私が学生の頃、父がいつも私をほめてくれていたことを思い出しました。両親の愛に支えられて、生かされている私、これからもこの私を大切に、両親の気持ちに添えるよう努力してまいります。私の中の子どもが母に代わり、そこから父の姿を思い出し、心温まる時間を過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
瞑想して絵を描いて、そして皆さんに話を聞いて頂くやり取りの中で、今の自分に「それで良いよ」と言ってあげることができるようになって行くように感じました。皆さんの大切な人とのエピソードを伺うことで心の緊張がゆるんで優しい気持ちになりました。良いメッセージや絵は人の気持ちをほっこりさせてくれますね。わかちあい会ではアイスブレーキングも含めて良いことに焦点を当てられるので、参加すると心と体がゆったりできます。ありがとうございます。
瞑想中に4〜5歳のころの自分の写真パネルを思い出し、自分の中の小さな子供は自分のことなのかも知れないと感じました。その写真パネルは夏の暑い日に両親がプールに連れて行ってくれたときに撮ってくれた写真を引き伸ばしたもので、両親の愛情を受けていたことを思いだしました。写真パネルは父が壁に掛けて私が中学生ころになるまで飾られていて、私はその写真パネルを見ながら成長していったわけですが、逆に4〜5歳の自分に成長を見守られていたのかもしれないと思いました。そう考えると、両親に対してだけでなく、成長する過程で私に関わってくれた方々(親戚や近所、学校の先生や友人たちなどなど)に育てられるのを、4〜5歳の私が見ていたのかもしれないと思うとなんだか不思議な感じがするとともに、感謝の念で幸せな気持ちが湧き上がってきました。
絵を描いたり、お話しさせていただく中でいろいろと気づくことができました。小さな子供が喜ぶ明るい未来を選択していければと思います。ありがとうございます。
私の中の小さな子供は、安心して私と一体化して、自然の中に溶けて風になって優しく頬を撫で、雲の中でふんわりとした居心地の良い中眠っているようです。先日(21日)参加したわかちあい会で心が解放され変化したことを今回知ることができました。わかちあい会に参加しその都度鎧が一枚一枚剥がされていく、楽しみです。

「あなたの中に小さな子供がいます」
苦手なテーマをあえて選びました。いつも私の中の子どもは幼稚園の時の私で、バスケットを持って、白いフリルのついたエプロンをかけ、楽しそうにしている小さな子どもでした。今日その子どもは、「いつも頑張っているね」と私の頭をなでてくれています。だんだん絵を描き進むにつれ、その子どもが私の亡くなった母になりました。事実、母はいつも私を守ってくれている実感があるからでしょうか、母が私の頭をなでてくれています。そう思っていたら、私が学生の頃、父がいつも私をほめ

わかちあい会

2021年

わかちあい会

「美しい眺め」
2度目のテーマでした。前回では鳥を迎え入れる樹の立場になって描きました。飛来してきた渡鳥たちを迎えるために、沢山の実と花を描きました。今回は疲れてやっと辿り着いた渡鳥と自分が重なったので、鳥の気持ちになって描きました。この一年間のコロナ自粛生活のなかで、自分はちっぽけな存在だということをおもい知り、視点が変わったのです。今までは 癒す=おもてなし の感覚で、doingで動いていたようです。今日絵を描いてわかったことは、疲れた者が求めているのは、いつでも受け入れてくれる安心の場所がある事、beingを望んでいたのです。今の私は疲れた身体を寄せる場所、大樹の1枝を見つけた気持になっています。その大樹がコミュニオンなのでしょう。
絵を描きながら、私は自分が何を感じ何が言いたいのだろう?とクレヨンを持っていました。そして絵を説明しながらも、今の自分とは正反対の理想だけを口にしている!と悶々としていました。それが、皆さんからのフィードバックで、私のモヤモヤしていた心の中を言葉にしてプレゼントして頂いたようでした。こんな経験は初めてでした。
わかちあい開催のためにZoomで接続したら、自分の画面がいきなりオーロラになってしまい焦りましたが、初めてのことなのに不思議と落ち着いて対処できました。瞑想でやってきたイメージは前にアクティブリスニングで浮かんだ大きな樹でしたが、樹に向かって感謝の気持ちが湧いたり、登ってみたいと思ったりと、これまではただ眺めているだけだったのに、今回は自分から働きかけをするような感じで、なんだか一緒にいるような、そんな感じがしました。テーマは木がそっと手を差し伸べる、そのようなやさしさを描いた詩だと思うのですが、そっと差し出すような気遣いにはとても共感が持て、いいなあと思います。わかちあいの時間では、自分が感じたこと、思ったことを言葉にしてフィードバックしましたが、私が発した言葉で相手の方が気づくのをみると、これまで学んだことが活かせているのだなあ、とか、技術が身についてきているなあ、と思いました。話しを聴いて自分が気づいたことを相手に気づいてもらうのにフィードバックを使うのが自分らしい聴くスタイルだと思っています。ただ、それは操作的で押し付けがましく、最上のスタイルは河合隼雄さんのように何も言わず寄り添うだけで相手が気づきを得る、そう思っていました。でも、フィードバックで気づきを得てもらう自分のスタイルも、今日のテーマの木の在り方に沿っているのだと思いました。
詩の朗読が自分の中のイメージを膨らませてくれて、絵を描くのはあまり得意ではないのですが、スムーズに描くことが出来ました。そのことに自分でも驚きました。
また、皆さんからのフィードバックで、自分で気が付かなかった内面に気付くことが出来ました。私は、自宅から見える大きな木を描いたのですが、その木は空につながっていて、その木は、遠く離れた空と自分とを繋げてくれる存在なのだというイメージを持ちました。その木に3羽の鳥を描いたのですが、なぜその鳥を描いたのかと聞かれ、私は3人の子供たちを描いたのだと気が付きました。末っ子がこの4月から東京の大学に行き、4月から夫と二人だけの生活が始まります。子供たちは空に向かって飛び立っていくけれど、それは遥かかなたではなく、この木を通じて繋がっているから大丈夫なのだと、心は穏やかで安心した気持ちに包まれました。
また、皆さんの描かれた絵とその想いを聞いて、人それぞれこんなにも感じ方が違うのかと驚きました。日本人は個性が乏しいと言われますが、いやいやこんなにも個性的で、豊かな感情があるのだと実感しました。
この会への参加は2回目なのですが、1回目でも短い文章を渡されてびっくりしていたのですが、今回はもっと短い文章でまたびっくりしました。
メールで文章が送られてきて、目を通した時はなんとも思わなかったのですが、今回の会で聞いて、考えて、描いて、話す中でこの短い文章がドンドン膨らんでいって、それは1人では見れない世界だったなあと、改めて思いました。
また、今回書いた絵は自分のだらしない部分で、そういったものはやはり人前に出ないようにするものですが、そうやって自分の中の本当の部分に嘘をつき続けるとしんどくなってしまう。
いつもちゃんとピシッと背を伸ばすことばかり意識していましたが、もっと本当の素直な自分の気持ちをありのまま出すことも意識しなければいけないのかもしれないと、今回の会で思いました。

「美しい眺め」
2度目のテーマでした。前回では鳥を迎え入れる樹の立場になって描きました。飛来してきた渡鳥たちを迎えるために、沢山の実と花を描きました。今回は疲れてやっと辿り着いた渡鳥と自分が重なったので、鳥の気持ちになって描きました。この一年間のコロナ自粛生活のなかで、自分はちっぽけな存在だということをおもい知り、視点が変わったのです。今までは 癒す=おもてなし の感覚で、doingで動いていたようです。今日絵を描いてわかったことは、疲れた者が求めているのは、いつでも受け入れてくれ