3か月振りなので、少し不安になりましたが、会場の雰囲気にすぐ慣れて安心できました。 今回は話がたくさんでき、良かったです。ロールプレイもいろいろな意見が出て参考になりました。
感じ方がそれぞれ異なることをみて、自分自身のどくとくのこだわりや妄想の視点に気づくことができました。 ありのままの姿に気づくような傾聴は、自由にその人(自分)の思いに気づくことでしかないと感じました。
久しぶりに少ない人数で、知っている人も多く、ゆったりとできました。話していてハッと気づくと いう体験もできて、良かったです。言葉って(+態度)も大切ですね。
出席してよかったです。他の人が、こんなことを感じるんだと驚きました。最初の話では、深い話が心に響きました。 注【鈴木先生が以前、お話になったエピソードを伝えました】
何秒でも自分を「快」にすることができる。とはすごい驚きであり幸せなことだと思った。
自己探求していきたいと、自分の絵を描き思った。doingによる探求もある一方で、beingに気づくにはどうしたらいいか、なぞなぞだと思います。宇宙の叡知に問いながら、もう既に得られているんだと感謝していきたいとは思う。良いことにも感謝し、悪いことにもおそらく感謝というのが筋なんだろう。
受講生の声一覧
2018年
アクティブリスニング
3か月振りなので、少し不安になりましたが、会場の雰囲気にすぐ慣れて安心できました。 今回は話がたくさんでき、良かったです。ロールプレイもいろいろな意見が出て参考になりました。
感じ方がそれぞれ異なることをみて、自分自身のどくとくのこだわりや妄想の視点に気づくことができました。 ありのままの姿に気づくような傾聴は、自由にその人(自分)の思いに気づくことでしかないと感じました。
久しぶりに少ない人数で、知っている人も多く、ゆったりとできました。話していてハッと気づくと いう体験も
2018年
ベルセミナー
「葉っぱのフレディ」
フレディは苦しまずに亡くなってよかったと思いました。
「いのちは永遠に生きているのだよ」という「いのち」とは何だろうと。今持っている自我というものではなくて、残念なことにただの分子レベルなのかって、結局いのちがなんだかわからないなアと思いました。
また絵を褒めて?いただいて有難く感じられました。ありがとうござい ます。
淡々と予想通りの終わり方の物語だけれど、たくさんの仲間と一緒の元気いっぱいの夏がなぜか印象に残った。アイス・ブレーキングが"幸せと感じること"だったので、日々の小さな幸せや仲間との楽しい思い出も大切だと思った。
フレディは木から生まれて木に還る。人は人から生まれてどこへ還るのだろうと素朴な疑問を持ちました。でも人骨の3/4でダイヤモンドが出来ると聞いて、自分の死後ダイヤモンドの指輪になって代々受け継がれていったら、残された者の負担も少なくなって、大切にもされていいのかなあとも思いました。
「葉っぱのフレディ」は読むたびに胸がいっぱいになります。今日は皆さんの発表の言葉にいろいろな刺激を受け、私の中をまた探ってみることが出来ました。そしてこのお話から「死」のことだけでなく、今生きている日々のこと、自分がどう生きるのかの姿勢を思いました。「経験したことのないことはこわい」もの。恐れるば かりではなく、「だからこそ知りたい」という力、「だから今を精一杯生きる」力にもしていけばいいのだなと思いました。
「葉っぱのフレディ」
フレディは苦しまずに亡くなってよかったと思いました。
「いのちは永遠に生きているのだよ」という「いのち」とは何だろうと。今持っている自我というものではなくて、残念なことにただの分子レベルなのかって、結局いのちがなんだかわからないなアと思いました。
また絵を褒めて?いただいて有難く感じられました。ありがとうござい ます。
淡々と予想通りの終わり方の物語だけれど、たくさんの仲間と一緒の元気いっぱいの夏がなぜか印象に残った。アイス・ブレーキングが"
2018年
わかちあい会
「すべてはあなたが選んだことです」
瞑想をして絵を描くことで、はっきりしなかった心の中やイメージが形になり、コメントをもらうこで前向きなエネルギーが感じられるようになりました。わかちあい会の力だなと思います。
自分が生まれ持った気質のようなものは、それはそれとして、そこから少しずつ自由になろうとしている自分を感じました。「こうでなくちゃ」とか何かにしがみつく感じから解放されて、生きることを楽しみたいです。沢山の人と繋がり、やさしさの交換は気づいていなくても実はたくさんたくさんしているのだから。
「すべてはあなたが選んだことです」
瞑想をして絵を描くことで、はっきりしなかった心の中やイメージが形になり、コメントをもらうこで前向きなエネルギーが感じられるようになりました。わかちあい会の力だなと思います。
自分が生まれ持った気質のようなものは、それはそれとして、そこから少しずつ自由になろうとしている自分を感じました。「こうでなくちゃ」とか何かにしがみつく感じから解放されて、生きることを楽しみたいです。沢山の人と繋がり、やさしさの交換は気づいていなくても実はたくさんたくさんしているのだから。
2018年
わかちあい会
「文学と人生」終了後、ありすいきいきプラザ講習室にて 「波と一緒になって」
波の声を聞かなくちゃ!と思っていた自分に気付きました!波の声が聞こえなくてもいいんだ~。一緒に踊ってしまえばいいんだ~と思うと解放された気分になりました!
穏やかな気持ちを感じました。心地よい空気の中で自分の中からの安らいだ想いに触れると、そのままでいいんだなと、落ち着きが戻ってきます。みなさまの話を聴かせて頂き、共感し合う居心地のよい場にいられる喜びを想います。参加させて頂き、ありがとうございます。
波→音 色 波動 → 陸 空 地球 → 全体の調和 人それぞれ個々人の内なる調和 → 人と人との調和⇒ 大自然と人と人との調和、メロディー、ハーモニー、リズム⇒ 生の実感、歓び、感動 『穏やか』な自分
久しぶりに色々な人たちとおはなしできました。自分のことをおはなししたり、参加している方々のおはなしを聞かせて頂きながら、心和み、はれやかになっていきました。それぞれの方々の“やさしさ”を、絵を通して感じることができて幸せなお時間でした。今日もありがとうございました。
波のリズムに乗るにしたがい心もかろやかで魚たちもおよいで幸せそう。自由で楽しく踊っていました。
自然の働きは四六時中、変わらない。自分も自然の一部である。コミュニオンの皆様と出会ってこういうワークに出会えることの幸せをかみしめた。
「文学と人生」終了後、ありすいきいきプラザ講習室にて 「波と一緒になって」
波の声を聞かなくちゃ!と思っていた自分に気付きました!波の声が聞こえなくてもいいんだ~。一緒に踊ってしまえばいいんだ~と思うと解放された気分になりました!
穏やかな気持ちを感じました。心地よい空気の中で自分の中からの安らいだ想いに触れると、そのままでいいんだなと、落ち着きが戻ってきます。みなさまの話を聴かせて頂き、共感し合う居心地のよい場にいられる喜びを想います。参加させて頂き、ありがとうございます。
2018年
わかちあい会
「文学と人生」終了後、ありすいきいきプラザ集会室Aにて「偶然の中に意味があります」
先日に、起きた出来事を、話をすることにより、より感じることや気付きをいただけました。ありのままの自分を出せる場があることのありがたさを感じます。
いつも感じることなのですが、わかちあい会で集う方にそれぞれ共時性を感じます。そしてそのことで改めて自分を見つめ直すことができます。そのことこそが、「偶然」ではないと思います。そしてそのことの意味をまたゆっくり探りたいと思います。確実に言えることは、かならず暖かな気持ちで力をもらっています。そして、私こそが大いなる力に見守られ抱かれていることを再確認できる場です。
1年くらい前に同じテーマでわかちあい会に参加したことがあった。その時は、涙がとまらなくてほとんど話ができなかった。今日は同じテーマで同じような思いで瞑想して絵を書き感想まで言えた。同じことを想っても違う反応をしている自分に少し成長したと思えました。この1年間分かち合ってきたおかげです。
今までの自分の体験に起こる偶然の意味を深く考えさせられる会でした。本当にささいな一言から始まった偶然が私の生活にとても大切なコミュニオンの出会いなど気付かされるものでした。
心許したお仲間と共に今まで歩んできた道を振り返り、今日、ここに在る自分を優しく認める。この流れをとても温かな気持ちで受け止めることができました。はじめてご一緒になった方もある中で、このような気持ちになれるのはコミュニオンのわかちあいだからこそと思いました。
このわかちあいの場に今日こうして出会っているおひとりおひとりにも出会いの意味があるのだなとしみじみ思いました。自分の心を少し離れて俯瞰する。そして丸ごと自分を受容する大切さを学ばせていただきました。
「文学と人生」終了後、ありすいきいきプラザ集会室Aにて「偶然の中に意味があります」
先日に、起きた出来事を、話をすることにより、より感じることや気付きをいただけました。ありのままの自分を出せる場があることのありがたさを感じます。
いつも感じることなのですが、わかちあい会で集う方にそれぞれ共時性を感じます。そしてそのことで改めて自分を見つめ直すことができます。そのことこそが、「偶然」ではないと思います。そしてそのことの意味をまたゆっくり探りたいと思います。確実に言えることは
2018年
わかちあい会
「文学と人生」終了後、聖心女子大学4号館「カフェジャスミン」にて 「一人ひとりが光の存在」
とても嬉しく幸せな気持ちです。わかちあいに加えていただけて良かったです。わかちあいの好きな自分に気づきました。
いつもの場所とは違うところでしたが、久しぶりのわかちあい会、参加者も初めての方もおり、でも自分らしくいられ話せてまた進歩。思い(ポジティブ)→行動→ハッピーでした。
私は今、しあわせです。「はっきりわからなくても」という言葉がテキストにありましたが、私も「はっきりわからない」存在ですが、とるに足らない存在ですがしあせです。coffee shopでわかちあいをして、結構雑音があって、やかましかったのですが、そのやかましさが私の心を少しイライラさせましたが、それを超えるしあわせ感がありました。ありがとうございました。
この私たちのグループは、皆が集まっているからこそ、光輝く大きな光となっているね、とわかちあいました。私たちそれぞれが光の存在であると共に、やはり皆が一緒になることでより輝くのだと、改めて気づきました。ほかの方のフィードバックを嬉しく受け取りました。
一人ひとりみな違っていい、それが、蛍のひかりであり、祭り屋台のランプの灯であり、太陽の光であり、いろいろな形の光がかけがえのない生を、いや死後も大きな光の中の一つの役割として全うできるとわかった気がします。私がこれから行く、小さな八重山の島は、そんな光の集合体。社会をうつす鏡かも。鏡をのぞくと世界がうつっていました。
瞑想の後、記憶の中に子供の頃の記憶がよみがえってきました。あたたかく明るく、屈託なく風を追いかけていたあの頃。暗闇の中のお祭りのにぎやかな喧噪。光の思い出が気持ちをあたたかくしてくれました。
今まで仕事他を通じて大変と思ったことは、今思い返してみれば、全部自分の我を通じて自分で作っていたのかと思います。
あまり人に守られたいということを思ったことがなかったが、それも良いかなと感じた。
光っていうと、つい科学と宗教の近づきのことを言いたいと思ってしまう。「光あれ」と言ったというのはまんざら神話ではなく事実であって、それを言った?存在を神としてよいし、ビックバン以降物質といわれるものも光の集積、これはあたかも一人ひとり孤立していた人達が集まってcommunionになって、別の次元が作りだされるようなものだという例えはどうだろうかと思う。光のない時、影もなかった。
「文学と人生」終了後、聖心女子大学4号館「カフェジャスミン」にて 「一人ひとりが光の存在」
とても嬉しく幸せな気持ちです。わかちあいに加えていただけて良かったです。わかちあいの好きな自分に気づきました。
いつもの場所とは違うところでしたが、久しぶりのわかちあい会、参加者も初めての方もおり、でも自分らしくいられ話せてまた進歩。思い(ポジティブ)→行動→ハッピーでした。
私は今、しあわせです。「はっきりわからなくても」という言葉がテキストにありましたが、私も「はっきりわから
2018年
わかちあい会
「波と一緒になって」
自然と描いた絵が、今の自分の内面世界をとてもよく表していて、皆さんからあたたかいメッセージを頂き、とても嬉しく思いました。これまで生きてきた道のりの中で、ちょっと苦しかった「なぜ?」に対する答えあわせを、これからの人生の中でたくさん出来ることを楽しみに、日々、小さな出来事と向き合って生きていきます。
大宇宙や自然と一緒になって、波のリズムを感じる自分をイメージできました。みんなで海の歌を歌ってとても良かったです。体じゅうにしみこむ感じがしました。
波はすべてを受け入れてくれる。包まれて、ゆだねて、つながっている。温かくおだやかにメロディーが流れている。
「波と一緒になって」
自然と描いた絵が、今の自分の内面世界をとてもよく表していて、皆さんからあたたかいメッセージを頂き、とても嬉しく思いました。これまで生きてきた道のりの中で、ちょっと苦しかった「なぜ?」に対する答えあわせを、これからの人生の中でたくさん出来ることを楽しみに、日々、小さな出来事と向き合って生きていきます。
大宇宙や自然と一緒になって、波のリズムを感じる自分をイメージできました。みんなで海の歌を歌ってとても良かったです。体じゅうにしみこむ感じがしました。
2018年
わかちあい会
「それが恵みです」
渋柿もアルコールで甘い柿にかわる。私の中でアルコールは祈りのように感じた。生活の中に根づく形での祈り。これによって悲しみ、苦しみ、怒りは生活の一部であると認められたように感じるようになった。それに今日気づきました。この感情が私の恵みになるんだと。
ゆったりとした時間の中、何度か文章を心から声に出して読み、また、ゆっくりと瞑想する中で、自分のこれまでの過去を想い起し、今ある自分の姿をあるままがに見つめることができました。また同じく参加された方の思いを傾聴し、最大限想像し、深いところで受けとめようとする中で皆さんの思いが深い所に沁み入り、魂の洗濯が出来たような思いでいます。静かに待って下さる空気がありがたかったです。
木から採られた柿が生活の場で生花として飾られ熟していく姿を通して置かれた場でしっかりと役目を果たす植物の優しさに感動しました。私にとって渋柿を甘くするアルコールは苦しい体験を学びとして活かす力となるコミュニオン鈴木先生の教えであることが分かり感謝しています。
参加された皆さんのお話を聞いて初めて自分が気がついた事、自分と違った感じ方考え方に触れて改めて感動しました。私自身がとても気持ち良くいやされました。
柿がアルコールによって甘い柿になるというテキストの言葉から、皆さんのお話を伺い、苦しい中にも“自分をどのように育てるか”の軸を持って生きてられる姿勢が伝わってきて感動しました。また、それぞれの方のお話へのフィードバックのあたたかい言葉、支え合いの精神を感じました。物事は、そのことの意味はすぐに分からないもの…という言葉も聞けて、腹をすえてこの自分の人生を生きていきたいと改めて思いました。有難うございました。
渋柿がアルコール等によって甘い柿に変わる。私の人生の渋柿を甘柿に変えてくれたのは、太陽の恵みであるコミュニオンの仲間とわかち合いの場、そしてアルコールの力は、秀子先生の学びが変えてくれました。感謝あるのみです。
「それが恵みです」
渋柿もアルコールで甘い柿にかわる。私の中でアルコールは祈りのように感じた。生活の中に根づく形での祈り。これによって悲しみ、苦しみ、怒りは生活の一部であると認められたように感じるようになった。それに今日気づきました。この感情が私の恵みになるんだと。
ゆったりとした時間の中、何度か文章を心から声に出して読み、また、ゆっくりと瞑想する中で、自分のこれまでの過去を想い起し、今ある自分の姿をあるままがに見つめることができました。また同じく参加された方の思いを傾聴し、
2018年
わかちあい会
「隣人になるとは・・」
久しぶりの会で、参加者さんとわかちあい、うれしかったです。
今日はとても素直な気持ちになれ、心が爽やかにこの場にいることができました。参加者の方々と心がとても近く感じられ、いろいろな思いを分ちあうことができ、嬉しく思いました。参加されている方のお話から、これまでの鈴木先生の学びを再確認し、再び心に留めることができました。人それぞれいろいろな反応があるということ、その中で自分自身が心地よいと思える事だけを味わっておこうと思いました。
「隣人になるとは・・」
久しぶりの会で、参加者さんとわかちあい、うれしかったです。
今日はとても素直な気持ちになれ、心が爽やかにこの場にいることができました。参加者の方々と心がとても近く感じられ、いろいろな思いを分ちあうことができ、嬉しく思いました。参加されている方のお話から、これまでの鈴木先生の学びを再確認し、再び心に留めることができました。人それぞれいろいろな反応があるということ、その中で自分自身が心地よいと思える事だけを味わっておこうと思いました。
2018年
わかちあい会
「小鳥たちの贈り物」
日々の雑念に流されていました。目の前にあった大切なものへ意識を向けることへの気付きの時間となりました。ありがとうございます。
「小鳥たちの贈り物」
日々の雑念に流されていました。目の前にあった大切なものへ意識を向けることへの気付きの時間となりました。ありがとうございます。