NPOコミュニオン国際コミュニオン学会

受講生の声一覧

わかちあい会

2024年

わかちあい会

「自分を許せない人は誰も許せない」
人を許せない自分は、ダメだなぁ、ではなくて、人間だものそういうことだってあるよね、と思うことができました。そんなときは、そういう自分を許していこうと参加者の声から気づきました。また、今はこころの余裕がなくできなくても、時間の経過とともに変わるかもしれないし、状況が心もちを変えてくれる時があるかもしれないと思いました。日々の葛藤や問題を、皆さんに聞いていただき、今現在は自分にできることを探しながら自分なりに納得いく方法を見つけていこうと、不安定な自分の今を受け入れられたように思います。良い、悪いではなく、また解決が見つからなくても、取り敢えずそのままにしておく、今はその方法で過ごしていこうと思い、そう思えた事に希望を感じました。そして、やはりひとりだけで乗り越えていくのは難しい。実際に寄り添ってくれる人がいると感じられるから少しでも頑張れる。この場があることをいつも感謝しています。
人を許せないと感じる心の陰には、人に気づかれたくない自分の弱さがあったんだということを思い出しました。無意識のうちに自分の柔らかく弱い部分を守ろうと、この不都合な状況は相手のせいだとばかりに憤っている。よくよく気づくと、相手だって、自分の弱さを隠し持った存在で、何とか必死にそれが漏れ出ないように戦っていたりもする・・ああお互い人間なんだなあと思うと、許す・・とまではいかなくても、相手を生身の人間として、体温を感じることも。そこからほどいていけばいいのではと思いました。自分の弱さを等身大の自分としてまず自分自身が認められたら、そんな自分を抱えながらも前進しようとする人間の心は強いんじゃないかと思います。
存在そのものを受け入れ、ビーイングでつながる、深いところでつながる。存在そのものを喜んでゆくことが大切。その中に老いや病気も受け入れていくことが大切。老いや病気もマザーテレサはその中にキリストがいると。老いや病いを美しいと思えれば自分の老いも恐くないかも。恐れていた事の先に希望があるかも・・・と思えました。わかちあいは家族でさえできない、心の交流、そして希望がもてました。

「自分を許せない人は誰も許せない」
人を許せない自分は、ダメだなぁ、ではなくて、人間だものそういうことだってあるよね、と思うことができました。そんなときは、そういう自分を許していこうと参加者の声から気づきました。また、今はこころの余裕がなくできなくても、時間の経過とともに変わるかもしれないし、状況が心もちを変えてくれる時があるかもしれないと思いました。日々の葛藤や問題を、皆さんに聞いていただき、今現在は自分にできることを探しながら自分なりに納得いく方法を見つけていこうと、不安定な自

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2024年

わかちあい会

「太陽からの贈り物」
小部屋で今までにもらった贈り物を話している時、中学生になる進級祝いに文房具を贈ってくれた下級生の母の事を思い出しました。その人の作る洋服の色合いや差し色、センスの良さ、ファッションをトータルで考える事等を教えていただいたのだとふと気づきました。また、瞑想の言葉で「大いなるものに包まれた感じはありますか」と言われ、大失敗をしたと思っていたことが決して無駄ではなかったことを長々と話しました。その時、言葉を思いつくままに話していたのですが、アニメーター、参加者の方々からフィードバックをいただいた時に、段々と自分の頭の中が整理されていくのを感じました。誰かが聴いてくれると、考えがまとまったりすること、安心安全の場で話して聴いてくれる人がいると、自分の心が晴れ晴れとするのだなと、とても清々しい気持ちになりました。介護で大変な時に言われた言葉で傷ついていた自分がとても癒されました。ありがとうございました。
心に何も感じていないと思っていても、そこにはすべてが内包されているかもしれないと感じることができました。いろいろな心の状態の深いところはビーイングに繋がっている と。ありがとうございます。

「太陽からの贈り物」
小部屋で今までにもらった贈り物を話している時、中学生になる進級祝いに文房具を贈ってくれた下級生の母の事を思い出しました。その人の作る洋服の色合いや差し色、センスの良さ、ファッションをトータルで考える事等を教えていただいたのだとふと気づきました。また、瞑想の言葉で「大いなるものに包まれた感じはありますか」と言われ、大失敗をしたと思っていたことが決して無駄ではなかったことを長々と話しました。その時、言葉を思いつくままに話していたのですが、アニメーター、参加者の方々

わかちあい会

2024年

わかちあい会

「夢みたものは」
瞑想の時の感覚が前回やそれ以前と違った(今回は頭痛がした)。視野が狭くなっていることはなかなか自覚しづらいという事が分かった。この様な機会をくださりいつもありがとうございま。
気付きー空間認知能力、求めている居心地の良さはどこから来るのか漠然と気付かされました。ピンチはもしかしたらチャンスなのかもしれません。
夢見てる時の幸せって、確かにここにあるでしょうと、思いました。一方、この幸せ感を感じていくなら夢破れた時の覚悟も必要だろうなと。道路工事のノイズがあったおかげで、コミュニオンハウスの静けさが感じられ、感謝です。でもそれを感じさせて気付かせてくれたのは苛立ってはいけない。苛立つような道路工事の音なので、それにも感謝するということかと思いました。
騒音から静寂のありがたさを感じ、感謝することができました。ありがとうございます。

「夢みたものは」
瞑想の時の感覚が前回やそれ以前と違った(今回は頭痛がした)。視野が狭くなっていることはなかなか自覚しづらいという事が分かった。この様な機会をくださりいつもありがとうございま。
気付きー空間認知能力、求めている居心地の良さはどこから来るのか漠然と気付かされました。ピンチはもしかしたらチャンスなのかもしれません。
夢見てる時の幸せって、確かにここにあるでしょうと、思いました。一方、この幸せ感を感じていくなら夢破れた時の覚悟も必要だろうなと。道路工事のノイズ

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2024年

わかちあい会

「一生を通して求めるもの」
命とは、生きるとは、自らの命は永遠に続くと信じている。しかし、命のゼンマイが切れることがあるだろう。それが俺の一生である。
愛の大切さを認識しました。

「一生を通して求めるもの」
命とは、生きるとは、自らの命は永遠に続くと信じている。しかし、命のゼンマイが切れることがあるだろう。それが俺の一生である。
愛の大切さを認識しました。

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2024年

わかちあい会

「お父さんの自慢をしてください」
相手の方を父だと思って自分の思いを伝えるというワークをして、現在父に対して感じている感謝の気持ちだけではなく、若い頃に感じていた嫌悪感、その嫌悪感から酷い態度を取っていたこと、それでも父は一度も怒らなかったことなど、自然と口に出てくるままに話しているうちに、私も娘からどんなにひどい態度を取られても一度も怒ったことがなかったことを思い出し、初めて、父と自分が重なって感じられました。
今回は会に参加する前にテキストを読んで、父の良いところをできる限り書き出してみたのですが、ワークの後でそれを読んだら、どれも自分自身がそうありたいと思っていることだと気が付きました。また、父から言われた言葉で傷づいたことも何度かあったことも思い出し、何気なく人を傷つけるような言葉を口にしてしまうことが自分にもあると思い、ますます父と自分が似ているように感じました。
若い頃に父に対してイライラしていた時は実は自分自身に対してとてもイライラしことも思い出され、人は結局自分と関わる人に自分自身を投影しているのだと感じました。
出会う人一人一人が私に気付きを与えてくれる大切な存在なのだと思います。
今回も素晴らしい時間を過ごさせて頂き、ありがとうございました。
今回もありがとうございました。
おかげさまで、擬似体験で父にたくさんお話ができて、しかもずっとただただ聞いていただくことができて、父に対する怒りや思いを吐き出すことができました。
しかも時間内に話したいことが終わって、すごくスッキリしました。すごくありがたい時間でした。
おかげさまで、逆に父がどんな気持ちで私たち家族5人を養ってくれていたのかなと思いを馳せることができました。
お父さん、自分自身のことでいっぱいいっぱいなはずなのに、私たち家族5人のこともですけど、なってくれていたし、会社でも管理職まで上り詰めて、部下のことも父なりに支えていたこともとても大変だっただろうなとも感じることができました。最後に絵を描いた時に父に対しての愛のエネルギーが溢れてきたことを感じてとてもびっくりしました。なんかとっても嬉しかったです♪
ワークの中で、父に対して本音で語りかけることが出来ました。実際には言うとケンカになって、ちゃんと伝えきることが出来ないことも、感情的にならず最後まで言葉にすることが出来たお陰で、自分の中を整理することが出来たように思います。最近また父への怒りが湧いて、とても批判的な気持ちになっていました。でも、父の易怒性に対して批判の気持ちが湧いたとしても、父そのものを否定する必要はないし、父の言い分をちゃんと聞く耳を持った上で、自分の言いたいことをどう伝えるか、そういう学びの機会をいただいてるんだと改めて思いました。伝わらないと嘆くのは、結局私も自分目線でしか言葉にしていないのかもしれないと気づきました。否定からは何も生まれない。相手がどんな態度に出てきても、一人の人を目の前にして、私自身がどういう姿勢で在ろうとするのか、父はそんなことを私に訓練させてくれているのかの知れないと思うことが出来ました。ありがとうございました。

「お父さんの自慢をしてください」
相手の方を父だと思って自分の思いを伝えるというワークをして、現在父に対して感じている感謝の気持ちだけではなく、若い頃に感じていた嫌悪感、その嫌悪感から酷い態度を取っていたこと、それでも父は一度も怒らなかったことなど、自然と口に出てくるままに話しているうちに、私も娘からどんなにひどい態度を取られても一度も怒ったことがなかったことを思い出し、初めて、父と自分が重なって感じられました。
今回は会に参加する前にテキストを読んで、父の良いところをできる

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2024年

わかちあい会

「どうにもならないものでもいいものです」
皆さんのわかちあいを聞かせていただき、自分の視界が広がっていくのを感じました。より俯瞰した視点で見るとなければよい物事も「案外いいもの」として受け入れることができる可能性があると気づけました。ありがとうございます。
日常の生活は、めんどくさいことの積み重ねである。このめんどくさいという感じる中で、いかにめんどくさいことを自分で楽しめるよう生活していく工夫が必要である。めんどくさいからめんどくさいを越える楽しさある。陽と陰のようなものだと思う。
久しぶりの参加でした。自分の話したことを、評価するでもなく批判するでもなくそのまま受け留めてもらえると心が穏やかになるな、ということを改めて感じました。自分が感じている嫌な思いも正直に話せる場はとても有難いです。皆さまのフィードバックも嬉しかったです。
今回もありがとうございました。負のエネルギーがあっていい♪とおかげさまで気づくことができて嬉しかったです。今、そのことを感じてみると、シェアしたときよりももっと気持ちが軽くなっています。より良いものにしていくって言いましたが、負のエネルギーがあるから良いエネルギーもある♪なんかそう思えるようになってきました。

「どうにもならないものでもいいものです」
皆さんのわかちあいを聞かせていただき、自分の視界が広がっていくのを感じました。より俯瞰した視点で見るとなければよい物事も「案外いいもの」として受け入れることができる可能性があると気づけました。ありがとうございます。
日常の生活は、めんどくさいことの積み重ねである。このめんどくさいという感じる中で、いかにめんどくさいことを自分で楽しめるよう生活していく工夫が必要である。めんどくさいからめんどくさいを越える楽しさある。陽と陰のようなものだ

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2024年

わかちあい会

「『大木』になってみましょう」
好きなことはエネルギー。
そこから人とつながりやさしくなれる。暗(やみ)から光が生まれる。一寸先は暗ではなく光(大木)である。
暑さや色々悩みなどある中で、「素」にもどることができました。
「山田太郎」的なパーソナリティとしての「素」ではなく、人としての「素」にもどれるような・・・回復の場をありがとうございます。
みんな大木を自分の中に持っていますね。私も家族の中にある大木を信じようと思います。
色々な関わりの中で、それぞれがバラバラで独立していて、自分が定まらない気持ちになってしまうと感じていました。絵を描いてみて、中心が空っぽの絵を描いたらその部分がとても穏やかで落ち着いて気分の良い場所で、そこがあるからこそ今の自分が保っていられるのだと感じました。フィードバックの言葉で私も人から支えられていると気づきました。感謝しながら、「いまここ」に集中する時間を増やしていきたいです。

「『大木』になってみましょう」
好きなことはエネルギー。
そこから人とつながりやさしくなれる。暗(やみ)から光が生まれる。一寸先は暗ではなく光(大木)である。
暑さや色々悩みなどある中で、「素」にもどることができました。
「山田太郎」的なパーソナリティとしての「素」ではなく、人としての「素」にもどれるような・・・回復の場をありがとうございます。
みんな大木を自分の中に持っていますね。私も家族の中にある大木を信じようと思います。
色々な関わりの中で、それ

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2024年

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「思考こそ創造の原点」
とても無理だな、苦手だな、ということに直面した時に、思考を使って前に進むことを考えて、一つ一つ課題をクリアしてきたことを思い出すことができました。他の方たちの、思考を使ってきたことについての絵やお話から、気づきをもらうことができてよかったです。コミュニオンの学びの良さを再確認しました。
よくよく考えて一石を投じた、私にとっての「思考の種」に対して誰からも反応が返ってこず、批判的な気持ちや攻撃的な気持ちになっている自分に気づきました。種を枯らさず育てたいけれど、怒りやエネルギーだけで突き進もうとすると自己主張ばかりが強くなる。思考の力を働かせ、自分の中で冷静な判断が出来なくならないよう、自分を整えるチャレンジの連続なのだと思います。結局のところは思考だけではなく、自分の中でいろいろなものがバランスを持って結びついていくことが力になりそうです。そして、種を生み出した本来の目的を見失わず、自己主張ばかりが前に出過ぎないように、ちょっと肩の力を抜くことも大切だと、皆さんのお話しを聞いて思いました。ありがとうございました。
考えてみれば、普段の生活の中で頭を使わずにいつものやるべきことを淡々とあまり疑問を感じずにこなすというのが私の姿かも知れない。根気強いという面のようにも見えるが、惰性で工夫がないとも言える。そういう自分に改めて気付いたがこれまでの転機になったのは、周囲の状況からとても難しいと諦めていたことを「もしかしたらできるかもしれない」「ひょっとしてその時間休暇を頂いても何とかなるのではないか・・」と考えたときから、自分の夢を叶えることができた。今回のテキストにある「人間の思考には力があります。あなたは自分で考えたとおりに周囲の状況をつくりあげているのです」について思いを馳せる一時となった。これからも周囲の状況を見て諦めるのではなく、自分で周囲の状況をつくりあげられるということを心に留めたいと思う。

「思考こそ創造の原点」
とても無理だな、苦手だな、ということに直面した時に、思考を使って前に進むことを考えて、一つ一つ課題をクリアしてきたことを思い出すことができました。他の方たちの、思考を使ってきたことについての絵やお話から、気づきをもらうことができてよかったです。コミュニオンの学びの良さを再確認しました。
よくよく考えて一石を投じた、私にとっての「思考の種」に対して誰からも反応が返ってこず、批判的な気持ちや攻撃的な気持ちになっている自分に気づきました。種を枯らさず育てたい

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2024年

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「たまものはそれぞれ一人ひとり」
私はただ黙って人の話を聞いているだけでは、人の役に立っていないと思っていましたが、母にも父にも充分すぎるほど役に立っていたことの気づくことが出来ました。また、学校とかではただただ黙っている人たちを楽しませようとして、笑わせようとしていたことにも気づきました。結局、私がしてほしいことを私は人にやっていたんだな、これって仕えていることになるのかも!!という嬉しい気づきが今、起こりました♪(^_^)
以下のような気づきがありました。
・自分の好きなものを知っている
・それを実践している
・分け与える喜びを知っている
・ふかふかの布団で眠ること
私自身が私を喜ばせる力があることを認識できた。気分が乗らないとき、不機嫌な時、積極的に取り入れよう!

「たまものはそれぞれ一人ひとり」
私はただ黙って人の話を聞いているだけでは、人の役に立っていないと思っていましたが、母にも父にも充分すぎるほど役に立っていたことの気づくことが出来ました。また、学校とかではただただ黙っている人たちを楽しませようとして、笑わせようとしていたことにも気づきました。結局、私がしてほしいことを私は人にやっていたんだな、これって仕えていることになるのかも!!という嬉しい気づきが今、起こりました♪(^_^)
以下のような気づきがありました。
・自分の

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2024年

わかちあい会

「愛するゆえに」
参加の皆さんのお話しを聴いて、またテキストを読んだり、瞑想を通して、まだ10代の頃の自分を思い浮かべたり、亡くなった身近な人を思い浮かべたりしました。そして、現在に至っています。返しきれない大恩を思います。最後に、アイスブレーキングでお話した、朝のゴミ出しの帰りに見える遠くの雪山に、癒されている自分を再び思い出し、命の不思議さや尊さ、生かされていることのありがたさや、そのつながりに思いが至り、細かいことではなく、客観的に広くゆったり物事を見つめたいと思いました。
仕事から帰ると、ベッドで寝ている義母に「ただいま」を言います。ねぎらい、安堵、喜びなどなどこもった優しい笑顔でかすれた声で「お帰り」といってくれます。晩年寝たきりになりなってから、優しい声と表情で「お帰り」と言ってくれたことが、うかんてきました。また私が中学生の頃、お弁当を忘れた私にお弁当を渡そうと近道の急な土手を母が、かけ降りた時滑って転倒してしまい、頭を打ちました。母はお弁当を手渡すと頭を押さえながら「いいから、行きなさい!」と言います。お向かい駐在さんも出て来て「大丈夫、先生のところに連れていくから」と言われたことを40数年ぶりに思い出しました。私は母が心配で自分が父のところに連れて行きたかった。遅刻してもかまわないから自分で連れて行き、父に診てもらいたかった。不本意な思いをしたことが、浮かんできました。そして、実家より嫁ぎ先の方々の笑顔が浮かんできて沢山の応援を頂いているなと温かい気持ちになりました。自分一人では思いもよらないことが、わかち合いでふと浮かんできて優しい思いや自分の気持ちに気付く温かい時間でした。
わかちあいでそんなに亡くなった方が瞑想中にでてくることがなかったのですが、はっきりと出てきて驚きました。感じたことは、今自分がここに存在しているのは、やはり祖母やそのほかの教えがあって、愛情があったからこそなのだと思ったことでした。

「愛するゆえに」
参加の皆さんのお話しを聴いて、またテキストを読んだり、瞑想を通して、まだ10代の頃の自分を思い浮かべたり、亡くなった身近な人を思い浮かべたりしました。そして、現在に至っています。返しきれない大恩を思います。最後に、アイスブレーキングでお話した、朝のゴミ出しの帰りに見える遠くの雪山に、癒されている自分を再び思い出し、命の不思議さや尊さ、生かされていることのありがたさや、そのつながりに思いが至り、細かいことではなく、客観的に広くゆったり物事を見つめたいと思いました。<