NPOコミュニオン国際コミュニオン学会

受講生の声一覧

わかちあい会

2024年

わかちあい会

「いま、ここで」
気持ちがモヤモヤしてくると、つい何とか自分の気持ちに折り合いをつけようとしてしまいがちですが、ただ表面的なものをいなしているだけではかえってこじらせてしまうのかもしれないと思いました。実際のところ、今の自分の正直な気持ちを汲み取り続けると、奥の方に埋もれていた本音にハッとさせられることもあります。置いてきぼりにしていた自分に対面していくうちに、外から持ち込まれた厄介事に対する恨みがましい気持が、自分事としての取り組みに変換されていくのも感じます。いま、ここで、ごまかしのない自己一致した自分でいられたなら、大いなるものからエネルギーをいただいたり、まわりの人の助けにも心を開ける・・ということなのだと思いました。わかちあい会では取り留めもなく話しましたが、正直なところを言葉に出来たことで、後になっていろいろと気づくこともありました。また、限られた時間の中、背景や詳しいことまでは言及できないにもかかわらず、その範囲内で受けとめていただき、贈っていただいたメッセージにちょっと心の風通しが良くなったようにも思いました。
まだ起きてもいない未来や過ぎ去った過去に心配したり憂うことなく、「いま、ここで」を楽しむことが大切だと感じました。辛いけど苦しいけど「起こることは全て良きこと」なり、陰陽と同じだなと思いました。分かち合うことで皆さんも同じようなことで悩み苦しみ、そして同じようなことが嬉しいことなんだな~と共感できました。ありがとうございました。
瞑想の時に、すっかり忘れていた昔の事を思い出しました。アイスブレーキングで聞いた皆様の話から、自分の中で記憶が蘇ってきたのだと思いました。テキストを前もって読んだ時とは違う感情だったので、他の人と話すと色々な事に気づくことができるのだと実感しました。フィードバックで皆様からいただいた言葉も宝物となりました。参加者の方が「コミュニオンのつながりの中で」とお話しされた事も、私の心の中にスッと入ってきて、感謝の気持ちでいっぱいになりました。凍っていた自分の心が温かくなって溶けだしたように感じました。

「いま、ここで」
気持ちがモヤモヤしてくると、つい何とか自分の気持ちに折り合いをつけようとしてしまいがちですが、ただ表面的なものをいなしているだけではかえってこじらせてしまうのかもしれないと思いました。実際のところ、今の自分の正直な気持ちを汲み取り続けると、奥の方に埋もれていた本音にハッとさせられることもあります。置いてきぼりにしていた自分に対面していくうちに、外から持ち込まれた厄介事に対する恨みがましい気持が、自分事としての取り組みに変換されていくのも感じます。いま、ここで、ごま

わかちあい会

2024年

わかちあい会

「大空の空気を吸う」
今回は、鷲のように高い目線で下界を見る。簡単そうで忘れがちなことであると思います。リラックスしたい自分に気付きました。
未来は自分が制限しなければ美しいものだと思わせてもらいました。ありがとうございます。
感情に囚われず、少しずつ少しずつ、冷静になれるようになってきたのかも知れません。人を責めることや、自分への言い訳を手放し、目の前にある問題に建設的に取り組んで一歩一歩進んでゆきます。
人が自分のことを批判したら「〜だからできない。だからやる」というような因果律にチャレンジするのも良いかなと。そして、実際にやっているかもしれないなと思いました。俯瞰すると、別の可能性が出てくるので人生に偶然はなくすべて成長のために起こっており、批判をエネルギー転換できればいいなと思いました。

「大空の空気を吸う」
今回は、鷲のように高い目線で下界を見る。簡単そうで忘れがちなことであると思います。リラックスしたい自分に気付きました。
未来は自分が制限しなければ美しいものだと思わせてもらいました。ありがとうございます。
感情に囚われず、少しずつ少しずつ、冷静になれるようになってきたのかも知れません。人を責めることや、自分への言い訳を手放し、目の前にある問題に建設的に取り組んで一歩一歩進んでゆきます。
人が自分のことを批判したら「〜だからできない。だからやる

わかちあい会

2024年

わかちあい会

「今日、小さな一歩を踏み出します」
無為の人生、永遠の地平線どこまでも。

「今日、小さな一歩を踏み出します」
無為の人生、永遠の地平線どこまでも。

わかちあい会

2024年

わかちあい会

「自分と自分の見方は変えることができる」
日常、自分自身の事を深く考えた事もなく、常に人の事ばかり気にかけており、それで、その時の感情にふり回されていた自分に気づかされました。もっと自分自身と対話する時間が必要だと感じ、とても有意義な時間を過ごせました。ありがとうがざいます。日常生活に追われる時は、このような時間が持てないので、時折ワークに参加させて頂ければ、有り難いです。

「自分と自分の見方は変えることができる」
日常、自分自身の事を深く考えた事もなく、常に人の事ばかり気にかけており、それで、その時の感情にふり回されていた自分に気づかされました。もっと自分自身と対話する時間が必要だと感じ、とても有意義な時間を過ごせました。ありがとうがざいます。日常生活に追われる時は、このような時間が持てないので、時折ワークに参加させて頂ければ、有り難いです。

わかちあい会

2024年

わかちあい会

「幸せになる最良の方法」
わかちあい会に参加する前は、テキストを読んでもピンとこなくて、本当に「思い出」で救われるのだろうか?過去よりも「今この時」が大切なのでは?などと思っていました。ところが、瞑想しながらテキストの朗読を聞いていたら、今日この頃、日々のなにげないシーンで人に感謝を感じたり、人から感謝されたりしていることがいくつも心に浮かんできて、とても暖かい気持ちになりました。その後、苦しい日々を送っていた若い頃に、イベント作りに一生懸命で、消えてしまいたいほど辛い時にそのイベントを思い出しては何とか自分をなぐさめて生き延びていたことが急に思い出され、なんと空しい日々だったかと振り返りました。それで気付きました。私にとって「厳しいことに直面しても、それを思い出せば心が生き生きとするような思い出」とは、「出来事」ではなく「感謝の気持ち」なのだと。そして、「それをいつも思い出せる習慣」とは、「何事も当たり前だと思わず、些細なことに対しても感謝の気持ちを忘れずにいること」だと感じました。今回も大きな気付きがありました。感謝の気持ちでいっぱいです。
テキストを読んだ時、苦しい時にも思い出によって心が救われ・・・そんな感覚になれるだろうか?と正直しっくりこないものを感じた。それでも会が進むうちに、ふとある人の表情が浮かんできた。自分では、自分の価値など何も感じられたかった時「私の存在にも何か意味があったんだ」と感じさせてくれた人・・・こういう他者の存在に支えられ、何とかやって来れたんだなあと、胸がじわじわあたたかくなった。自分の認識している自分だけが自分の全てではないんだと、まだ若かったその時の私は思うことができたし、今思い出している私も改めてそう受けとることが出来た。自分なりに苦しみも踏みしめて歩んできた人生で、苦しかったからこそ味わうことができた深い深い感覚も、いつの間にか自分の中に蓄えていたのだと思うことができた。
瞑想の時、以前このテキストでご一緒した方の「蓄えたワクワクする思い出」をいつも思い出す習慣をつける方法についてのお話、絵が思い出され、その方とのご縁に感謝の涙が溢れました。そして、初めて参加したリスニングセミナーでその方にお話を聴いて頂いた時、その方のお顔が私の顔に見え「鏡だ!」と思った瞬間、闇の中、光が差した体験が思い出されました。参加者よりその体験について質問を受け(その時は言葉にすることは難しく)、あらためてその時の私の気持ちを振り返りました。「鏡だ!」と思った私の顔はびくともしない軸の定まった私自信(インナーチャイルド)でその顔に見つめられて…。「自分の中に答えがある…。おおいなる者に生かされ導かれている私自身の中に」鏡になれる様に傾聴への学びへと誘われている今に「有難い感謝だ」と感じました。今回のわかちあい会で、今に感謝して、今の私の気持ちを掴んで、「嬉しい、楽しい、美しい…」と感動し、「ありがとう」と伝えて。

「幸せになる最良の方法」
わかちあい会に参加する前は、テキストを読んでもピンとこなくて、本当に「思い出」で救われるのだろうか?過去よりも「今この時」が大切なのでは?などと思っていました。ところが、瞑想しながらテキストの朗読を聞いていたら、今日この頃、日々のなにげないシーンで人に感謝を感じたり、人から感謝されたりしていることがいくつも心に浮かんできて、とても暖かい気持ちになりました。その後、苦しい日々を送っていた若い頃に、イベント作りに一生懸命で、消えてしまいたいほど辛い時にそのイベ

わかちあい会

2024年

わかちあい会

「羊は羊でよし、馬は馬でよし」
限りなく一人でありながら、繋がっている温かさを感じました。私は境界線が弱く、私自身を上手く感じ取れずに誤った選択をして失敗ばかりしています。昨年は嫌なものを拒絶する練習の1年でしたが、周囲が私の拒絶を受け入れ、自分が思っていた以上に私は尊重されていたことを体験した1年でもありました。瞑想の中では、テレビで見たモンゴルの大自然の風景を思い出しました。広い草原で、動物たちと距離を保ちながら、一人ぼっちの私が安心して私を生きているイメージでした。限りなく一人をイメージした時、静謐な静けさの中で、揺るぎない強さを持って、クローズでいながらオープンであり、尊重され、生かされ安心しているという感じを持ちました。「あなたはあなたでよし、わたしはわたしでよし」としています。会の中では、共鳴する分かち合いもあって、不思議なご縁を感じました。「それぞれの形においてつながりあい、どの命も無条件の大地の恵みによって支えられ、生かされている」との言葉が生き生きと浮かび上がりました。独りぼっちでも、見えないところで深くつながり合って、助けられている。改めて感謝なことだなと思いました。アニメーターはじめとするスタッフの方々、ご準備からとりまとめまで、本当にありがとうございました。あたたかなほっこりする時間にいつも感謝しています。
すべてとの繋がりを感じることと、それぞれの境界線を感じることのバランスが大事だと思いました。「私はわたしでよし」と自分でもっと認めていきたいです。ありがとうございます。
フィードバックで「客観視できている」「元気をもらえた」「守られているのを感じる」といっていただき、自分ではわからなかったので嬉しく思いました。今、自分の心が穏やかであるのを感じました。1月7日に、ハウスで対面で全く同じテキストでした。どうなるのだろう?と思っていましたが、私が話した事と全く同じ体験をされた参加者の方がいてビックリしました。その方の仰った言葉も私と同じだったので、お互いにエールを送ったりしました。同じテーマを近々で2度行ったのは、こんな計らいだったのかなとふと思いました。

「羊は羊でよし、馬は馬でよし」
限りなく一人でありながら、繋がっている温かさを感じました。私は境界線が弱く、私自身を上手く感じ取れずに誤った選択をして失敗ばかりしています。昨年は嫌なものを拒絶する練習の1年でしたが、周囲が私の拒絶を受け入れ、自分が思っていた以上に私は尊重されていたことを体験した1年でもありました。瞑想の中では、テレビで見たモンゴルの大自然の風景を思い出しました。広い草原で、動物たちと距離を保ちながら、一人ぼっちの私が安心して私を生きているイメージでした。限りなく一

わかちあい会

2024年

わかちあい会

「名前を呼んでみましょう」
瞑想を通して子ども時代を思い浮かべ、大きな愛に包まれていたことを感じました。みなさんのコメントで、自分では気づけない見方を得られました。愛は、自分の思いだけでなくみんなの思いが集まってできているのだと実感しました。
どれ程の人が今、会いたいと無事を願い名前を呼んでいるかと思った時、私がこれまでどれ程多くの方に名前を呼ばれ今があるか、感謝の気持ちでいっぱいになりました。「○○ちゃん」と優しく呼ばれる時、「大切な存在です」と愛を感じます。これからもそう感じる温かな気持ちを蓄えて、深いところで繋がり、見守ってくださっている方の呼びかけが聴けるように応えられるようになりたいと思いました。有り難うございます。

「名前を呼んでみましょう」
瞑想を通して子ども時代を思い浮かべ、大きな愛に包まれていたことを感じました。みなさんのコメントで、自分では気づけない見方を得られました。愛は、自分の思いだけでなくみんなの思いが集まってできているのだと実感しました。
どれ程の人が今、会いたいと無事を願い名前を呼んでいるかと思った時、私がこれまでどれ程多くの方に名前を呼ばれ今があるか、感謝の気持ちでいっぱいになりました。「○○ちゃん」と優しく呼ばれる時、「大切な存在です」と愛を感じます。これからもそう

わかちあい会

2024年

わかちあい会

「羊は羊でよし、馬は馬でよし」
テキストから浮かんだ風景をそのまま描いたのですが、みなさんから感想やコメントをもらって、雄大で平和な気持ちが絵に込められていると感じ、うれしかったです。
やはり色々な暮らしをされている方々のお話をうかがうことで気づきをいただけたな、と。そして終わった後は気持ちが「寛解」されているなと思いました。
昨年は病気がちでなかなか思うようにスムーズに物事を進められず、不安や自信喪失にも陥りました。コミュニオンのメンバーに会えたら少しは元気がもらえるかな、と思って本日参加させていただきました。ワークを通して皆さんとお話しして、自分では思いつかなかったフィードバックもいただけて、私は情熱をもって日々過ごしている事も再確認でき、上手くいっている時のパワーを思い出せた気がしました。
リアルな分かち合い会もよいと思いました。リアルなエニアをやってみたいと思いました。鈴木先生のモンゴルで見た風景とその想いが自由で平和な気持ちをワークで感じることができました。
ワークの中で伝わってきました。

「羊は羊でよし、馬は馬でよし」
テキストから浮かんだ風景をそのまま描いたのですが、みなさんから感想やコメントをもらって、雄大で平和な気持ちが絵に込められていると感じ、うれしかったです。
やはり色々な暮らしをされている方々のお話をうかがうことで気づきをいただけたな、と。そして終わった後は気持ちが「寛解」されているなと思いました。
昨年は病気がちでなかなか思うようにスムーズに物事を進められず、不安や自信喪失にも陥りました。コミュニオンのメンバーに会えたら少しは元気がもらえる

わかちあい会

2023年

わかちあい会

「全人類が織り成す織物の模様は?」
私は織物の裏側にいるので、ぐちゃぐちゃの糸が見えるばかりで織物の本当の姿は分からない。今まで出来事の意味が分かったらどんなにやりやすいかと思ったけれども、たとえ分からなくても一生懸命自分の持ち場で一瞬一瞬生きていくのだなあと感じました。
今ここで自分を大切にしながら与えられた能力を生かして、他の人との良い関わりに焦点を合わせ、調和と一致を目指して働くときに、見事な質の織物になっていく・・という鈴木先生のお言葉をかみしめながら。そしていつか表側を見せて頂ける時に悲しみや辛さを抱えながら生きた裏側での人生に感謝できるようでありたいと感じました。
以前に伺ったお話を思い出しました。貧しい炭鉱で爆発が起こり、その町のお父さんを亡くし、泣いて途方にくれている女性や子どもたちを前に、神父自身も悲しんだり煩悶したりしながら「どうしてか私にも分からないけれども・・今はぐちゃぐちゃの糸が織り混ざっているようにしかみえないけれども、その表には「神は愛なり」と書かれている。」
「自分なんて」と思いながら生きてきたと気づきました。瞑想をしながら、久保田一竹美術館の着物を思い出しました。制作する過程で、布を糸でグルグルと巻き、糸がグチャグチャのように見えました。布を染めて絞って、刺繍して、糸をほどくと、とても美しい着物が現れ、その一枚一枚を立て続けに並べると、大宇宙になったり、壮大な自然が現れたりしていたと思い出しました。
テキストを読みながら、私も一竹美術館の着物のようにグチャグチャに糸を巻いていた年もあったな、絞り過ぎて丈が短くなってしまった年もあったのだなと思いました。コミュニオンで学び、その一つ一つの結び目を今度は勇気を出してほどいていこう、私の織った着物の絵は、並べると何になるのだろうか。それがわかる日を楽しみに、今を生きようと思いました。アニメーター、サブアニメーターの声がとても柔らかくて包み込むようだったので安心感がありました。安全の場で話せることがとても幸せに思いました。
どんなことが起こっても、それが愛の中で起こっていることと受け取れる可能性があるという視野の拡がりを感じました。わかちあい会が参加者皆で織物を織っているのだなと感じることができました。
自分の人生で織っている織物の模様が、ねじれようが、ほつれようが、よじれようが、綺麗に織ることではなく、織物の模様を見ることができた時、そういう模様だったんだということを楽しんで見ることができるよう自分を受け入れ生きていくことが大事だと思った。

「全人類が織り成す織物の模様は?」
私は織物の裏側にいるので、ぐちゃぐちゃの糸が見えるばかりで織物の本当の姿は分からない。今まで出来事の意味が分かったらどんなにやりやすいかと思ったけれども、たとえ分からなくても一生懸命自分の持ち場で一瞬一瞬生きていくのだなあと感じました。
今ここで自分を大切にしながら与えられた能力を生かして、他の人との良い関わりに焦点を合わせ、調和と一致を目指して働くときに、見事な質の織物になっていく・・という鈴木先生のお言葉をかみしめながら。そしていつか表

わかちあい会

2023年

わかちあい会

「すべてよし駅」
私は小さい頃から嫌なことは絶対にやらない!っていうところがあったなと思い出すことができました。嫌なことはしなくていいけど、やりたいけどできないかもしれないから…やめた、みたいなことも結構ありました。前者は潔くてかっこいい!と我ながらいいじゃん!と肯定できるのですが、後者はできなくてもいいからやってみたら?やらない後悔よりやった後悔のほうがいいんじゃないかな?って自問自答してみました。そしたら結構リベンジしていたんです!中学校2年生の時の英検4級を1人だけ落ちたらどうしようと思って学校を休んだのですが、ずっと心に残っていて、40代後半くらいの時に受験しに行って合格することができました!とっても嬉しかったです♪これからもやりたいけどできないってことは、チャレンジしていこうと思います。
老いていく自分、よく忘れる自分。驚くような失敗も経験する自分自身を受け入れなければならない。そんな自分を受け入れたくない時もある。しかし、現実を無視することはできないが、振りまわされず、そんな自分に対して、すべてよし駅とする、できると、今日は学んだ。自分に対する辛さも、他の辛さも、楽しむ力も持つ人のみ「すべてよし駅」に導いてくれる。
今日のアイスブレイキングは「今年1年を振り返って」でした。思いがけなくそのような時間をいただき、自分に何があるだろうと問いかけました。自分のことばを自分で受け止めたり、他の方のお話も深く心に残り、わかちあえるっていいなあと思いました。
「どんな駅に降り立っても、その駅の名を・・自分で「すべてよし駅」に変えることができる」その為には「今、私がいる、ここ」を楽しむ力を持つ。苦しい時に果たして楽しめるだろうかと思いました。アニメーターの方の言葉でふと、「楽しむ」という意味が深いんだ!と理解できました。自分一人で考えているよりも、話してわかちあい、他の方のお話を伺ったりすることで、そうかと自分の中から湧いてくることがあります。改めて、わかちあうって素敵だなと思えたわかちあい会でした。

「すべてよし駅」
私は小さい頃から嫌なことは絶対にやらない!っていうところがあったなと思い出すことができました。嫌なことはしなくていいけど、やりたいけどできないかもしれないから…やめた、みたいなことも結構ありました。前者は潔くてかっこいい!と我ながらいいじゃん!と肯定できるのですが、後者はできなくてもいいからやってみたら?やらない後悔よりやった後悔のほうがいいんじゃないかな?って自問自答してみました。そしたら結構リベンジしていたんです!中学校2年生の時の英検4級を1人だけ落ちたらど