グレールメール感想文集
「今人類の大きな転換期に入っています」、「自分で自分を幸せに出来るような人生をどうして築いたらいいでしょうか」という鈴木先生の講話会でのお言葉のもと、2009年6月にグレールメールが始まりました。また、次のようなお話しをご紹介くださいました。「2012年に向かって、今世の中が思いがけないことが次々に起こって、何が大切かを考えさせられる方向に世の中が変わっていきます。2012 年がどうなるのかわかりませんが、あと10~15 年くらいたった時に、今から2012 年くらいまでの間が、人類の一つの変わり目だった、ということがきっとわかるだろうと言うのです。」
そして、グレールメール活動の最初の目標であった3年間が昨年の2012年6月でした。その後先生と相談をして、この3年半を振り、グレールメールを続けて、今自分は、どのように感じているか、良かったこと、これからも続けていこうなど、それぞれの大事な体験を、感想文として書いていただき、それを感想文集という形にして、ホームページに掲載し、皆さんで分かち合ってみたらどうか、ということになりました。その結果が以降に掲載してあります感想文の数々です。
グレールメールはグループ活動にご参加される方以外は、お一人お一人が日常生活の良かった事など書き、毎月先生にメールを出すという一人での作業が中心ですが、この様に感想文を一同にする事によって感じることは、同じ時期に、同じ方向に向って、生きているコミュニオンのお仲間の存在を肌で感じるようで、心が温まりました。
この様な機会を作って下さった鈴木先生、とても大事な内面を感想文という形にして下さった方々、グレールメールにご参加くださっている方々、コミュニオンのお仲間に心から感謝申し上げます。
2013年3月吉日 グレールメール部会長 酒井 隆(記)
グレールメール部会感想文編集委員会 阿片公夫、大村義克、米澤恭子
グレールメールの案内については下記のページ、ブログをご覧になってください。
注記;感想文中のお名前表記について 実名表記、空白表記などはご本人のご希望にそったものです。その他はイニシャル表記にしてあります。
2009年当時の私は、出来事によって傷つき、揺らいでは自分を立て直していたのでした。グレールメールを書くことによって、出来事から「学び」を紡ぎ、「恵み」をキャッチする・・・、それは自分自身や状況を客観的にとらえることを助けてくれました。そして、自己と深く対話する静けさを日常化してくれました。お蔭様で、家庭内に大きな出来事があった時にも、今そこでの家族一人一人の小さな愛の行為を見逃すことなく、かたじけなく大事に思うことができました。それによって、困難を乗り越え、より一層家族の心がまとまることができたのは、お互いに愛を受け取る感度が鈍らなかったからだと思います。
不運に見える出来事の陰に、見守り導いてくださる働きが必ずあると信じる感度が鈍らなかったのは、グレールメールを続けてきたお蔭様です。さらには、グレールメール会という仲間と喜びを「わかち合える場」があることが、私を支えてくれました。
願いの通りにならない時に、自分が悪いからだと叱ることはなかったのです。思い通りにならないことの陰に、そうでなければ獲得できない学びが用意されていたのです。そうして私は、「なりゆきの善意」を確信するようになりました。与えられ続けてきたものを拾い集めることが習慣となり、今与えられているものが恵み…そう感じていた年月のうちに、今いざ足りないものを探そうとしてみても見つかりにくくなっていました。与えられているものが全てのように感じるのです。自分ではとうてい及ばない多くの恩恵に与って、納得できる生き方を実現できた今、見えないところで繋がっている働きの神秘に、ただただ感謝するばかりです。私はこうなりたかった・・・、なりたかった自分になることができました。
正月にコミュニオンの友人からいただいた歌への返歌として作りました。
今まさにこんな気持ちでいます。
スタートから参加して毎月のグレールメールを送るために、毎日ものごとの良い面に焦点を合わせる訓練をしてきました。そして現在、気分にアップダウンがあってもその奥の私自身は安定するようになりました。自分に軸が出来たことを実感し、自分は成長していると感動します。いままでのグレールメールを読み返してみると、自分の人生のテーマを繰り返し書いていたことに気づきました。そしてその時々の喜びは書いていく毎に深まっていることにも気づきました。
山のように動かないと感じていた状況も動き始めました。
先生が見てくださっている、祈ってくださっているという確信と幸せをグレールメールをすることで実感しています。自分に与えられている恵みに感謝し、できることに目を向けて前進していきます。
毎日書きためた日記からの、選りすぐりの言葉達です。
今では、日記をつける時間が、私にとってなくてはならないものになりました。
それは、一日の宝探しをする、ワクワクするとても楽しい時間です。
私はいつも日記帳を持ち歩き、心の琴線に触れることがあるとすぐに書き留めます。
たまたま日記帳がない時は、紙片や携帯のメモに書き留め、後で日記帳に転記します。
一つでも忘れてしまうと、光輝く宝物を逃してしまったような残念な気持ちになります。
心の温度が下がった時には、グレールメールや日記帳を読み返します。
読んでいると、心を冷やしたことが、自分の思い込みだったり、良い方向に進むためのきっかけになっていたと、気付くことがよくあります。また、一時嫌いになりかけた人も、以前私に“宝物”をくれたことがあったということも思い出して、そうすると、その人のことも、今は何か辛いことをかかえているのかもしれないと案ずることができるようになりました。
こんな風に、私はグレールメールを始めてから、出来事をいろいろな角度から見ることができるようになりました。
そのおかげで、人を許せるようになり、更に自分を許せるようなりました。
月に一度の分かち合い会では、集った方々のそれぞれの立場や状況で感じられたことを聞かせていただき、更に視野を広くしていただきました。また、私の気付きに共感していただいたり、深い感想をいただくと、私の経験がより熟成されて、とても豊かな気持ちになります。このような場に出会えた奇跡に、心から感謝しております。
グレールメールのおかげで、どのような出来事の中からも、学びや恩寵を見つけ出せる素地ができました。
どのような事が起きても、心安らかでいられる自分になりつつあります。
今は、自信を持って、毎日が人生で一番良い日だと思えるようになりました。
そこには私の内に秘められた「真の自分」からのメッセージがあり、私の歴史が綴られていました。
私は長い間、自分を好きになれず「孤独感」に押しつぶされそうな苦しみの中で、もがき続けていました。自分を好きになれないのは、「自分が弱いから。もっと強くならなくては・・」と、思い込み、自分で自分を叱咤激励する毎日でした。「ありのままの自分」を認めてあげられず否定するばかりで、いつも心が泣いていました。
自分の力では、「真の自分」を救い出してあげることができないと気付き、カウンセリングをお願いしたセラピストさんに勧めて頂いたのが「グレールメール」でした。
日々の生活の中で感じた「小さな幸せ探し」を、毎月シェアし合う「分かち合いの会」で、「真の私」を認め、見守り続けて下さる仲間の方々のおかげで、私はすこしづつ変わり始めました。
以前は、一人きりになることが怖くて、休日はあえて仕事を入れたり、無理やり用事を作っては表面的なスケジュールをうめてばかりいました。私は「淋しさ」を満たしてくれるものを外の世界に求めていたのです。グレールメールを続けていくうちに「小さな幸せ」が、どんどん私を満たしてくれるようになり、「本当の幸せは自分の内なる世界にある」と気付きました。
私が見つけた「小さな幸せ」を仲間とシェアすることで、何倍もの「大きな幸せ」になって返ってくるのです。
今の私は、「何も予定のない休日」が、この上ない幸せな時間と思えるようになりました。そして、一人でいる時も「一人きり」という感覚はなく、「内なる自分と二人でいる」と感じるようになったのです。
あんなに好きになれなかった自分と「二人きり」でいることが、今一番嬉しくて幸せに感じられるようになりました。「私は変わった」と、何度も実感するたびに、グレールメールのおかげであると感謝の気持ちでいっぱいになります。自分を好きになれると、私を取り巻くすべての世界が愛で満たされてくるのです。そんな「宇宙の大きな愛」を感じられるようになると、自分を信じ人生そのものを心から楽しめるようになってきました。
「人は必ず変われます」グレールメールを続けてきた私が多くの方に伝えたい言葉のひとつです。グレールメールは「真の自分に出逢える」魔法のメールです。
私は 5年前に長男を亡くしました。その悲しみの気持ちを納めて、穏やかな境地になりたくてグレールメールを始めました。今、訓練してきた道を振り返ってみると、知らず知らずのうちに、花が花であることが尊くて、自分も自然の中でこの花のように尊い命を精一杯生かされている、その中で体験することはどれもこれもみんな素晴らしいことなのだ、と思うようになりました。息子を亡くしたことさえも、今では愛しく大切な体験だったと思います。
グレールメールをしていると、幸せ体質になると思います。そして、ずっと続けていると、「幸せ」いう意識も消えて、何かもっと深い境地に入っていくような感じがしてきます。これからも、この道をワクワクドキドキ楽しみながら歩いていってみようと思います。
さて、グレールメールを始めたのは文通をするようになってから半年後くらいになるのですが、その頃の交流は季節のご挨拶を年に数回する程度にとどまっていました。その後グレールメールを始めて2年くらい経って、彼女からの手紙の内容が変わってきたことに気づきました。彼女自身のこと、日常生活の出来事などとても素直に表現されるようになっていました。又、私からの手紙をとても楽しみにしているとお返事をいただくようにもなりました。思えば、私は知らず知らず、日々のグレールノートに書かれていることを彼女に書き送っていたように思います。喜びや楽しみに焦点をあわせて手紙を書いていました。これが、グレールメールを続けて着いた力なんだな、と思います。彼女には持病があり、体が思うようにならないことが多々あるようですが、私と文通できる自分は幸せですと書いてくれました。とても嬉しかったです。
自分から発信された光は、自分を照らす光となって戻ってくるものなのですね。「幸せ発信地」は身近なところからいつの間にか広がっているようです。
グレールメールを初めて3年と少し。その間に3つのポイントがありました。
1つ目~グレールメールを初めてから直ぐ、我が家の宝物だったネージュと言う名のセキセイインコが、亡くなった事。
2つ目~グレールメールを初めて、1年半以上経ち札幌でも、グループ活動が始まった事。
3つ目~毎日小鳥のお墓で、鈴木先生からのお祈りのメッセージなどを読んでいましたら、お庭に変化が。20数年住んで来て初めて、バードテーブルを置きました。
そして最近、宝物を手にしました。それは・・・切っ掛けは、昨年の鈴木先生からの12月のグレールメールのメッセージです。[新しい年が、今まで見逃していた光をたくさん輝かせていくのは、すばらしいことではないでしょうか。そんな助けになる1ページを送ります。]と橘曙覧の(独楽吟)を 送って下さいました。
私は、毎朝それを口ずさんでおりました。それがまだ、一つしか覚えられないのですが。2月の札幌の部活動で最後に絵を描いていた時、自然と独楽吟もどきが、絵と共に口を付いて出てきたのです。全く短歌の素養も無いのですが。(たのしみは 屋根の雪こぎ 餌台の ひよ鳥集い りんごくう時)積もった屋根の雪を漕ぎつつ、えさ台にやっと辿り着き、りんごなどの餌をやる。すると暖かい家の中で、ふとした時に、ひよ鳥がりんごを食べている姿を見る。それが何とも幸せな一時なんです。
先生がおっしゃってましたね。[声に出して繰り返してください。いつの間にか(たのしみは・・・)という、あなたご自身の歌が生まれ出てくるでしょう。それは、あなたの宝になります。]と。
グレールメールは、多くの実りを私達にもたらしてくれる宝物だと確信しています。
たのしみは、 楽しみは、楽しみは、、、と呪文のように、となえる時
たのしみは、 楽しみは、楽しみは、、、の呪文を手に入れたこと
たのしみは、 平凡なたんたんとした日々が、呪文の中で奇跡に変わり、輝きだす時
たのしみは、 グレールメール締切日が近くなると、
楽しみは、楽しみは、、、と呪文が湧き出て踊りだす時
「感想文」S.Iさん
今年の講話会のCDから、楽しきことは、見つけを始めました。沢山の楽しきことはが見つかります。今まで気づかなかった同じカラスが橋の上に止まってること。飼い猫のお腹を撫でる時の幸せさ。お腹を空かせて食べるキツネうどんの美味さ。本来グレールメールの目的はこれなんだと実感しました。
今までは苦しさの乗り越え感想ばかりでしたが、そんな苦難の中でも、なにか良きことを見いだせる視点を自分が意識して持つこと。これこそがグレールメールの目指すところなんだと、腹にはいりました。
これからも日々楽しきことは見つけを続けてはグレールメールに綴ります。ありがとうございました。
自分の文章を読み返すと、私の自身の傾向が見えてくるようでした。
そしてこの3年で沢山の気づきを頂きました。その中でも最近は自分の根幹からの声に気づくようになり、無視することもなく、はかないもろい声を大切に迎えられるようになってきました。
土浦で夫とグレールメール会を開催させて頂いています。
このこと自体深い恵みに満ちた時間です。
毎月、鈴木先生のメッセージをご参加の方とわかちあいます。
すると一人で読んでいた時よりも100倍も1000倍も変化してきます。
それというのも、自分に無い視点をお聞きしたり、フィードバックを頂くとさらに深い意味を感じ得て、とても幸せな喜びに満ち満ちてきます。ご参加の皆様の賜物が光だす至福の時です。
「今日は干し野菜を作りました。食感が面白く、料理も楽しくなりました。」と書いてあるのを見つけ、「なんて、極上の豊かな1日を過ごしていたんだ!」と自分の幸せがあまりにも素晴らしすぎて、感謝の気持ちでいっぱいになります。
天の恵み、家族の恵み、様々な出会ったり、出会わなくとも関わっている人々からの恵み。どんな小さなことでも、自分自身から出てきた言葉の宝物。何気ない日常の中の輝きが1冊のノートにちょっとずつ、ちょっとずつ短い文章で書かれていて、読みやすいし、何が書かれているかわかりやすいし。そして、ひと月分をまとめて、鈴木先生に提出するのも、励みになりますし、毎月送られてくる先生のお言葉も、何度読んでも味わい深いもので、自分を振り返る良いきっかけになっています。
グレールメールをやっているだけで、どこのグレールメール会にも出られることが楽しく、グレールメール会を通じて出会ったお仲間は、魂の繋がりを感じています。共に続ける仲間がいるからこそ続いているので、この繋がりは私にとって、太い人生の命綱です。
私事ですが、身近な身内が東北人になったので、毎月は無理でも、仙台でグレールメール会をやりたい方がいらっしゃったら一緒に分かち合いたいなぁと思うようになりました。2012年10月の鈴木先生からの「お友達を誘ってグレールメール会をやっている」というグレールメールに書かれていた方の存在は憧れです。グレールメールは分かち合うと何倍にも幸せになりますから!
もうそんなに経っていたとは驚きです。
いつもぎりぎりに提出してばかりなのですが、それでも続けられたのは、鈴木先生の、返信での赤字と、最初のコメントに、いつもたくさん気づきを頂くからです。
最初のころと比べると、日常の何気ないことや、自然の恵みに意識を向けることが増えたと思います。
それまでは、見逃していたような、何気ない挨拶や、見た風景や、ふと思ったことなど。
大事なことは、大きく感動した出来事よりも、ずっとさりげなく小さいです。それを実感します。
それに気付く力がついてきているのだと思います。
そのおかげで、近々結婚することにもなりました。
気付くことで、いい相手にも巡り会えたのだと思います。
ありがとうございます。
一番変わったことは、何気ない日々が幸せなんだと気づいたことです。家族が全員無事帰ってきたことや気持ち良く人と挨拶をしてコミュニケーションをとれたことなど他愛もないことが幸せと気づいくことが出来たと思います。
そしてそれは子供にも影響し先日娘が私に(私は幸せ、お母さんもお父さんもお兄ちゃんもいるし美味しい食事も食べられて、住む家もあるし)と何気なく私に言ってくれました。本当に幸せな気持ちになりました。
4つの項目を考えることは、揺らぎ易い私の心に 一本の芯 を生み出し、日常の中にある多くの恵み 喜び を素直に感じる瞬間があります。
すぐに自分の癖 や 思い込みに戻ってしまいますが、何を感じても 伝えられる方がいる 受け入れていただける と思うと私自身でよいんだと 心が安らぎます。
母の在宅介護の日々が与えてくれた贈り物だと信じて 続けていきたいです。
いつか お仲間とお逢いして想いを分かち合える日を待っています。
今ではこの一日の終わりの良き習慣は、私の血となり肉になっています。
グレールメールがあってよかったと感謝してます。
携帯電話の機種を変更した時にメールのデータが消えてしまい、今読み返せるのは、2009年の12月分からのものでしたが、この3年間、どれほどグレールメールに支えて頂いていたか、もしグレールメールがなかったら…と想像すると、そのありがたさ、かけがえのなさに気づかされ、感謝の気持ちでいっぱいです。
読み返してみて、この3年間の日々にグレールメールが寄り添って下さっていたことが、どれほど大きなことだったか、気づかされました。
悩みや迷い、不安や恐れ、無力感や自己卑下などで生きにくさを感じながらの日々、それでも、その日にあったよいことを書き出す日記を続けていることで、1ミリずつ、物事をできるだけ肯定的に、明るく温かい方から見るように、少しずつ変えられてきていると思います。
鈴木先生からの共通の返信メッセージと、赤い文字にして返信してくださる部分を毎月末に頂けることに、みちびきと励ましを頂いていました。つらい時を持ちこたえる力も頂いていたと思います。
自分なんてだめと決して言わない、自分を責めない…、というお言葉に、何度も救われていた気がします。本当にたくさんの恩恵・恩寵を与えられていることに気づかされました。
現在も、心身や生活面の課題は色々あっても、グレールメールにつながっていることの安心感が根底にあることに気づかされました。
鈴木先生とコミュニオン・グレールメールに出会わせて頂けていることに、本当に感謝致します。
ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
"「グレール」とは、命を運ぶもの、キリストの命を運ぶ聖杯を意味します。"
私は、ご案内書のこの御言葉に魅力を感じグレールメールを始めました。無理なく自然に自由に、私の日々の生活を通して得る気づきや、何気なく見出す一瞬一瞬の生命の輝き等を文章で秀子先生にお伝えし共有して頂くことはとても幸せなことです。秀子先生の御返信は私にとって大きな楽しみの一つであり、その内容は美しく意味深いです。私の書いたメールに赤色でポイントをおいて下さるのも嬉しいです。私が思いますことは赤色部分は秀子先生が強く共感して下さったのであり、そのままの所は私が特に愛するところ…なんて甘美!感謝いっぱいです。
鈴木秀子先生、スタッフの皆様、ありがとうございます。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
私は”心”と”魂”をどこかに落としてしまったと思い込んでおりましたから、”何故、落としてしまったのだろう””どこへ落としてしまったのだろうか?”と犯人捜しに明けくれていました。
ところが、グレールメールを始めるようになって、視点が変わりました。鈴木秀子先生に”お陰様でこんな良いことがありました”と、ご報告したくて一生懸命見つけました。
そして、とうとう小学校のクラス会を開催することが出来ました。故郷に錦を飾りたいのが普通の人情でしょう。ですから自分なんてとんでもないと思っていました。ところが、川によく連れて行って下さった子にお礼が言いたくて、なんと自分が言いだしっぺになって、心はチクチクしながらも開催したのです。
ところが、後で送られた記念写真を見ると皆、誰もがとびきり嬉しそうな顔をしています。 なんとこの私まで、、、驚きました。
その後、前向きに、心を籠めて活きています。”今、命がある”という事がどんなに有難いことか。
『私は神様に命を頂いている大切な存在です。
だから自分で自分を大切にします』を本気で実践致します。
例えば、2月末の締切には1月の内容を提出するという形です。初めは「・・・だったが」という否定的な出だしで始まり肯定的に終わる内容が多かったのですが、途中からそうした前置きは除き、後半の肯定的な部分のみメモするようにしています。
更にまとめの段階では、時間が経っても色あせなかった幸せの体験をピックアップしています。こうした作業を繰り返すことにより、時々、具体的体験から霊的な気付きを引き出せることが多くなりました。毎日のメモが少ない月もありますが、そうした月のまとめは深い気付きが多いのが不思議です。
鈴木シスターから赤線を入れていただいた3年半にわたる返信を読み返すと、気付きでいちばん多いのは、いま現在目に見える世界の下に、目に見えないお恵みの世界が確実に存在している、そのサインを送っていただけたことへの感謝、あるいはそのサインがないときも見えない愛の世界の信頼と希望を失わない、という内容でした。
また最近もの忘れが多くなってきたので、晩に思い出せなくても昼間には良いことが確実にあった、という気付きも心の支えになっています。私の場合、グレールメールとエニアグラムの講習会とが相乗効果を上げているように思います。とくにこの半年ほど、仕事や人間関係で過度の落ち込みやストレスにあまり陥らないようになり、独善を排し、一ミリ一ミリ前進できるどっしりした心の安らぎが生まれています。
また、こうして作文を書いていると、自分が実際にシスターのおっしゃる幸せ発信地になりかけているような気もしてきました。
グレールメールは素晴らしい霊的修行だと思います。出会えたことに本当に感謝しています。
グレールメールは脳のベクトルが幸せの方向にセットされるということ。私にとっては神様への祈りそのもの。この日々の積み重ねで「すべて神様の最善で万事相働きて益に変えられる」ということを胸に刻み込み、すべてうまくいく、どんなことも大丈夫という感覚を養われてきました。
私はいまの未熟なそのままで神様から許され愛され大切な愛の作品であり無尽蔵の祝福の相続人。だからもうどちらでもいいことに振り回されて消耗してしまう…私を弾劾する外なるまた内なる声に翻弄される人生から決別し、自分と家族を大切に「何があっても幸せに生きる」と決めて前進してこれました。
人生でこんなにも恵まれたチャンスを与えられて秀子先生のお祈りの援護射撃をいただき私はここまで学び、癒され、立て直されて幸せの方向に加速してこれました。神様の愛に感動と感謝でいっぱいです。残念ながらひとつ乗り越えたと思ったらまた次と立ち現われてくる壁に遭遇して課題にひとつひとつ取組みすべて魂の成長のために必要な学びが与えられています。究極自分と神様との問題で静かに神様を見上げて歩ませていただく人生の旅路。これからも神様の御心を信頼して一歩一歩前に進んでゆくためにグレールメールを打ち続けさせていただきたいと願います。
私がグレールメールを始めたのは、まだ苦しみや悲しみが残っている頃でした。
この数年の苦しみと悲しみの中で、私は生かされているということや、生きているということの悦びを、心の奥深いところからの感謝で味わえるようになりました。また愛も恵みも幸せも、当たり前の日常の中に、既に溢れていたことを知ることができ、心の奥深いところからの感謝で味わえるようにもなりました。
夜明け前の時の中で、夜明けや朝の光の中で、午前午後夕暮れの時の中で、月明かりや星明りの中で、ただ時を感じているだけで、幸せを感じるようになったのです。生きている、ただそのことだけでの、悦びなのです。一杯のお茶も、塩のおむすびも、幸せを感じながら味わえます。
これらのことは、幾つもの苦しみや悲しみや愛があったから知ることができました。愛は深いところで、確り繋がって助け合っていることを、体験もし実感もしました。苦しみや悲しみの始まりから終わりまでの全てまでもが、愛によって用意されていたことのようにさえ思えます。今では苦しみも悲しみも愛に帰りました。愛にすることができました。これも愛あってのことです。
今はあるがままの自分で人生を味わっています。まずは感謝の中で愛の中で恵みの中で、平坦に生きています。
このような感想文を書けるようになれましたことに心より感謝をしております。
これまでのグレールメールを振り返り、とても懐かしい気持ちになりました。
一生懸命頑張っている自分に出会えました。感謝の気持ちでいっぱいの自分にも出会えました。
沢山の恵みがあり、沢山の学びがあり、私の周りは、素敵な事で一杯だったと改めて感じました。
読みながら、とっても幸せな気持ちになりました。静かな、穏やかな感じの幸せです。
嫌な事、辛い事って、けっこう覚えていて・・・日頃のちょっとした幸せのほうが、つい忘れがちな私。これからも、自分の良かった事に注目して、もっともっと自分を幸せにしていきます。
幸せな自分を発信することで、周りも幸せになるのでしょうね。
振り返る機会を設けて下さり、本当にありがとうございました。
正直申し上げると、最初の頃はメールの締め切りばかりが気になって気が重かったように思います。でも一生懸命1ヶ月分の日記を読み終わった頃には、心の中に自然に湧き上がってくるものがあり、メールを書き上げた時はなんともいえない充実感や達成感に充たされます。又毎月の鈴木先生のメッセージは素晴らしいキラキラした文章でとても感動的です。本当に続けてやって良かったと思います。
三日坊主の私がここまで続けてこられた理由は、
夜寝る前に、グレールノートを「3分以内で書く」と決めたことです。
書くことより、続けることに意識を向けました。
良いことにシフトするので、お布団に入るときは、
自然と「ありがとうございます。」と感謝の気持ちで
眠りにつくことができたように思います。
グレールノート継続の効果は、目に見えにくく、自分の成長や変化に
気づきにくいのですが、着実に1ミリずつ体質そのものが変わってきたように思います。
一般的に「悪い」と思われる事柄の中にも、1%の「光」を見つけようとするくせが、
知らず知らずのうちについてきました。
私と母親との関係が劇的に良くなったのは、
グレールノートのおかげで、「愛」の光を見出すことができた結果です。
1か月に一度、鈴木秀子先生にグレールメールを送らせていただき、
返信が届くまで、とてもわくわくします。
見て下さっているという安心感と、見守られているという包容力を感じます。
本当にいつもありがとうございます。
自分の経験を通して感じたその時々の気持ちが、セミナーで読んだ文学や、心を開いて自分の経験を話して下さる人の気持ちと重なる度に、心は大宇宙に繋がっていて個性的なことは普遍的であるということが実感できました。
また自分、家族、社会の中で様々な辛い出来事もありました。特に3月11日の東日本大震災は私の個人的な悩みを吹き飛ばしてしまう程の衝撃でした。容赦無く命の無常を突きつけられ打ちひしがれました。人と愛し合って生きていこう、家族に対しては自由に心に従って生きて欲しいう気持ちが強くなりました。
被災者の方々の積み上げてきたものが全部無くなってしまった時に知恵と力を出し合って一緒に助け合って生きている姿に人間の本質は愛であることを見せて頂き勇気と希望を貰い、世界中の人々からたくさんの愛を貰いました。この経験からも人は皆心で繋がり影響し合っていることを実感し自分の心を愛に整えようと思いました。
以前は自分にとって都合が悪いこと自分の思うようにならないことが起きると「なぜ私にこんなこ
とが起きるの?」と神様への疑念を抱いたり、まだ起きていないことを心配することが度々ありました。
グレールメールで日々心を明るい方に向け良いことを探し続けてきた今、心が成長する為に自分に必要な出来事や経験を引きつけ、その気持ちを味わい人へ共感する気持ちが増えていくことが、愛において成長し宇宙の愛と繋がっていくことだと気づきました。
宇宙の恵み、大いなる計らい、恩寵をたくさん感じとれるようになり宇宙への信頼が深まり宇宙の
愛に支えられ委ねリラックスしている私がいます。
新たな経験をする度に心が宇宙に拡がり周りの人の心と共鳴していくような心地よさを味わえるようになった幸せに感謝します。
一年目は、生活の中で、イライラしたり、不安に囚われたり、心配してかたまってしまった自分を必死に励ましています。自分で自分に言い聞かせるように書いています。
二年目の途中から4項目に加えて、その日見つけた宝物を記録することにしました。この頃から身の回りの自然をよく見ています。空、風、光、山や川、田畑の様子…、特に、夕日の美しさは、何回も書いています。
グレールメールは、どんな日でも、よかったことと恵みを記録します。これが私にとって、考えぐせを変える訓練です。落ち込む日もあります。でも、こうしていつも通りに記録ができること、家族が元気に過ごしたことをよかったと思い、1日を終えます。
3年間続けて、今思うことは、平凡な1日の中にも宝物がある。起こってくることをよかったこと、恵みと考えることができるということです。
昨秋、ウォーキングをしながら、「最後の一人になっても私は、子どもたちを応援するぞ」と考えていました。すると、突然、とても冷たいけれど、とても心地よい風が吹き付けて、はっとしました。その瞬間、「そうか、私は絶対に1人になることはない。だって、神様がいつも大切に見守ってくださっているから」と気づきました。自然は、ともに生きる仲間であり、神様のメッセンジャーのように感じ始めました。
最後に、以前は、お祈りといえば、「よい方向に導いてください、事故や病気から守ってください…」等々、あれもこれもお願いしていました。今は、「今日も生きています。ありがとうございます。」の感謝です。
私は最近、悲しい出来事があり、何もやる気になれずいました
ただ、そのような中、メールを頂き、今の私に声をかけて頂けたことだけで、嬉しく感じました
一遇を照らす光
になれるほど、今の私には力がないですが、線香花火位の、弱い儚い光でも、また明日周りに明るさを光を届けられる存在になりたいと、思いました。
毎月、鈴木秀子先生からくるメッセージに励ましや、気づきをもらいます。ありがとうございます。
毎月、メールを送り続ける私ですが、1か月の報告をするようで楽しいですね。
時を置いて、少し自分から距離をおいて見れるのでしょうか。これからも続けていきたいと思います。
グレールメールは、コミュニオンを知った時から気になっていました。
3月11日の震災とその後の支援状況を見ているうちに、私自身が長年の周期性うつから回復でき、娘の誕生日にグレールメールに申し込みました。
初めは順調に書いていましたが、次第に新しい気づきができなくなり、夏の節電のため、単身赴任中の夫が9日間ずつ2回も休暇で自宅にずっといたこともストレスになり、書けなくなってしましました。
その後、2012年9月、「コミュニオンフォーラム」に参加し、午後、グレールメールの分科会に入りました。そこで、毎回、新しい気づきを書かなくても同じ内容の繰り返しで構わない、書けないことがあっても自分を責めたりせず、また書き続ければいいとお聞きし、10月から再度、グレールメールを始めました。それでも、帰省にバタバタしていた年末年始には書けず、また、体のあちこちに出ている皮膚炎もひどくなり、朝晩、たくさんの薬を塗るケアも十分できない状態になり、また書けなくなりました。それでも、帰省中、新しくなったiPhone5の音声入力を使ってグレールメールを音声で入力してみたり、朝、メールチェックする時に、メール形式でグレールメールを書いたり、工夫もしてみました。
結局、毎日無理してグレールメールを書くことはやめました。
「本当に大切なことはちゃんと記憶に残っている」という先人の教えの通り、今日は東京、明日は横浜と、日々スケジュール管理やメールのやりとりが重要な私の日常生活では、日記代わりに記入しているパソコンのカラフルなスケジュールを見るだけで、その時の思い、気づきが湧き上がってきます。1カ月のふりかえりも、書いたものを見なくても、スケジュールを眺めるだけで、本当に大切な意味のある出会いがいくつも思い出され、それを頼りにパソコンに向かうことで2月のグレールメールが書けました。
しかし、いつもそのことを悔やんでいました。心の芯がしっかりしない生き方は、自身の未熟さもあり、心に傷を負うような出来事に出会いました。それは今まで大切にしてきたことを全てなくしてしまうような悲しい出来事でした。私は今までの人生で一番自信をなくし、生きる目的を見失いました。そんなとき、いつも気にかかっていたグレールメールにもう一度、挑戦したいという思いが湧きあがりました。自分を強く否定してしまう気持ちに覆われ、自身の存在理由がわからなくなるような苦しい日々、グレールメールを続けることで、どんなに苦しくとも善なる方向を見つめて生きていける、生命ある限りは精一杯努力して生き抜こうと強く思いました。
グレールメールを再開させていただけたときの天にも昇るような嬉しい気持ちは、今でも忘れることができません。落ち込み、暗い方向しか見ることができなかった私が初めて前向きな方向を見ることができたからでした。
私の心の傷は、他の人からすると、それほど深刻なものではなく、寧ろ、感謝すべきことの方が多いのかもしれません。しかし、私には大きな出来事だったのでした。
私はグレールメールに純粋に向き合ってくらし始めました。すると、今まで見えなかった、日々の生活の中の輝きが心に染みわたるように感じ取れるようになっていきました。
私はグレールメールを通して、自分と向き合い、自身を受け容れ、自分という生命を丁寧に生きることができるようになってきたのだと思います。自身の弱さを認め、そして自身の心を丁寧に見つめて、人も自分も大切にして生きることをグレールメールを通して教わっています。
心から感謝申しあげます。
グレールメールに申し込みました。
本当でしたら、現時点で、23回書いているはずなのですが。。。
実は、まだ、18回目です。どうやら、どこかで、書き損じた月があるようです。
グレールメールは、不思議です。
毎回、箇条書きで、4つの項目に、それぞれ、短い文章を、綴ります。
月末に、鈴木先生から、全員へのメッセージに続いて、わたしの書いた文章が
そのまま、返信されてきます。
よく見ますと、わたしの書いた文字の、ところどころが、朱書きに反転しています。
自分で書いた文章なのに、その朱書きに反転している部分が、毎回、なぜか、
輝いて見えるのです。
自分のこころの中の心象風景が、そのままに、あたたかく輝きを放っていることに
気が付いて、こころの中が、明るくなるのを感じます。
わたしの中の、わたし自身が気が付かないままに過ごしている輝く部分を、毎回、
そっと、指し示してくださることに、感謝と喜びを感じます。
毎月、人生を棚卸して、こころの在庫整理をすることで、だんだん、こころの中が
整ってまいりました。今後も、ずっと、続けていきたいと思っています。
感謝とともに。。。
今では眠る前にグレールノートを書かないと忘れ物をした様な気分になります、習慣になりました。嬉しいことのあった日はたくさん書けますが、心が重い日は良いことが書けないな〜と一瞬思います。
でも基本的なこと、例えば自由に動けたとかetc、挙げたらどんどん出てきます。そこで気分がアップします。そして眠りに就きます。ただ、私は一ヶ月のまとめを書くのに時間がかかってしまいます。私にとってグレールメールは福岡伸一さんじゃないけど、心の動的平衡を保つためのツールになっています。
そして始める前より、自分がどういう時に心のエネルギーが落ちて不安になるのか、少しづつ気づいてきました。特に家族に対しては時々同じパターンを繰り返したりしますが、学習しています。
愉しいことに焦点をあてている自分が多くなり、家族にノーテンキと言われることもあります。でもこの歳だから結構じゃないと笑える自分がいます。
鈴木先生が見てくださることが嬉しいです。
しかも、私の方へ、やってきます。私がいても、速度を全く緩めようともしません。
その上、その人の顔は、なんとも言えない表情のままです。
とっさに、私は立ち止まりました。そうすれば、ぶつからないように、いつもなら上手く回避出来るからです。意外と、下手に、お互いに回避しようとして、かえって当たってしまうことが多いためです。
ですが、この時は違いました。
相手は、私と目が合っても、一切回避しようとせず、速度を緩めようとせずに、顔色一つ変えぬまま、ものすごい表情で私の方へやってきました。そして、そのまま私のブーツを引いていきました。
思わず、『危ない』と、つぶやいてしまいました。『怖い』とも思いました。
なんとも言えない嫌な気持ちが溢れ出て来ました。
その時、グレールメールのことを思い出しました。そして、なんとか、このことを善いことにしようと、決めました。
『確かに、ブーツは引かれた。でも、有り難いことに、布のブーツだったため、引かれたのは布のブーツのみで、私自身は一切引かれていない。ブーツを引けば、何かを引いた感触を感じるはずなのに、私に対して謝りもしなかった。でも、感触があるが故に、私の見えないところで、「しまった」と思い直して、今頃は速度や表情を緩めているかもしれない。そしたら、私のブーツが引かれたおかげで、他の人が危なくなくなったことになる。』
すると、笑顔になれました。
そしたら、不思議と、人と目が合う度に、笑顔が返ってきます。
グレールメールのおかげで、その日も本当に不思議と、1日幸せに過ごせました。
本当に本当にいろんな偶然が重なって、グレールメールに出会いとにかく3年を目標に続ける決心をしました。
3年を経て、私の中で息苦しさがだいぶなくなったこと、偶然にしてはできすぎな事がたくさん起こり、良い事悪い事全て大きな計らいの中の出来事であると思えるようになりました。
混沌だらけの今という時代を生きて、何故?と問いたくなる事が多い一方で、物事に感謝する気持ちがとても増えました。
この2点が私の中で起こった大きな変化です。
感謝!
つい先日も忘れていた大切な人からのメッセージが心に浮かんでくるというチャンスに恵まれました。
私は先日社会福祉士の国家試験を受験しました。この2年間大学の通信教育で学びを続けた結果、何とか受験資格を得ました。
この1年間はレポートや試験に加えて実習もあり、国家試験のための勉強時間がとれないまま試験日が迫っていました。
「今回は模擬試験、来年合格するための練習なのだから」と思っていたものの緊張気味だった時、グレールメールの振り返りをしました。
ここまで勉強を続けられたのは私自身の頑張りだけでは不可能なこと、大きな計らいを受けてのことでした。
この2年間支えて下さった方々のことを思い返していた時、17年前に亡くなった伯父の言葉が耳元によみがえりました。
それは「結果ではなくて過程が大切なのだよ。」というおだやかであたたかく心に響く声でした。
亡くなった伯父とつながることができたのです。私はリラックスして試験に臨むことができました。
こんな体験ができるのもグレールメールのお陰、グレールメールに感謝です。
何気ない出来事の中にも重要な意味があり、人間の力を超える大きな計らいを受けていることに気づきます。
今回の国家試験結果は合格基準点には及びませんでしたが、来年への希望を持てる結果だと思っています。
伯父の言葉通りこれは私にとって大切な過程です。
これからの1年もグレールメールを通じてたくさんの恵みを味わい、感謝しながら国家試験合格という目標に向かって歩みを進めます。
グレールノート、毎日朝起きてすぐに書きます。書く文章の長さにもよりますが、前日の良い事だいたい7・8個。最後に「恩寵」と感じることも書きます。小さなノートの一番上の余白には、日付とその日の愛と癒しの366日のコメントを書いてあります。
そして、当日の分の愛と癒しの366日のコメントを書いて、朝のグレールノートの記入は終了。大体10分位。
今回、3年半42通のグレールメール、シスターから返信いただいたものを読み返しました。
自分に起こった変化をしみじみと味わっています。何が変わったのか、それは自我意識へのこだわりが少なくなったこと。どんなことか、古典、人生哲学、成功哲学、仏教、etc etc・・・・、知識は一杯詰め込んでいました。でも、知っているだけでは、何も役に立っていませんでした。そう、知識・思考は、私を幸せにはしてくれませんでした。
そんな「私」の変化、それは私という存在の本質は、不可知・表現不能の何物かとのつながりなのだ(コミュニオンと言っても愛と言ってもいいのですが・・・)と体感したことです。この感覚は少しずつ「私」の中に育ってきました、本当に少しずつ。その機会が毎日のグレールノートと毎月のグレールメールでした。
グレールノートは、深く静かに自分と向き合う時間を毎日与えてくれました。グレールノート、いいこと帳を書く時間は、瞑想の時間だと思っています。そして、毎月のグレールメール、Beingの大切さを、私という存在に少しずつ沁みこませる機会です。全ての存在の根源に触れ感謝する機会です。
小さなよいことに満ち溢れた一日を過ごすことが出来ていることの有難さ、奇跡を感じることが出来るようになっていくにつれて、「何があろうと何が起ころうと幸せでいることが出来る」という確信が強くなっていることを感じています。1ミリずつの力でしょうか・・・・。
私が見出したミッションステートメント。「どんな時も心穏やかでいることを希い(ねがい)求め、共に学び成長することを支えあう」。 生きる指針を見出せたことは、静かな幸福感と確かな力を、私に与えてくれました。
グレールメールのもたらしてくれたもの、それは、「共に幸せに生きる力」だと思っています。
毎晩のグレールメールはいつの間にか毎日の歯磨きと同様の日課となりました。お布団に入ると、突然「グレールメール!」と天啓の如く思い出され、起きて書くこともありました。出かけている時にはメモ帳に書き、あとでノートに貼ります。私の場合はB6のノートに一日1ページ分。そこに書かれている殆ど大部分はいつも同じことばかりです。最初に定番の文章―「目が見える。」「耳が聞こえる」「自分の足で歩ける。」等―を書き終わるとそれらが誘い水になって、その日に固有の恵みが思い出されます。
月に一度の鈴木先生へのご報告は、恵みのひと時です。「今月は何もなかった」と停滞を感じる時でも、1か月分を読み返すと、大宇宙の恵みが与えられていること、そして大切なことを選び取れる自分の力を実感します。毎日書いている同じ文章でさえもが、自分に何度も何度も大切なことを教えてくれているようで、とても力になり、気持ちも安定してきます。それらはさらに確かな智慧となって、またこれからの1か月の自分を方向づけるのだと気づき、これこそがグレールメールの恵みなのかも、と感じていました。
この3年半のグレールメールを一気に読み返して、自分の変化に気づきました。グレールメールで心が整っていたからでしょう。私のこの3年間は「どうしてこんなことが」と思う出来事が次々に起きた時期でしたが、にも関わらず大宇宙からの具体的な促しが思い出され、コミュニオンでは素敵な方々との新しい出逢いにも恵まれて、今の自分はとても素敵だな、と素直に感じられるのです。
グレールメールをわかちあうことは、お互いの恵みを確かなものとし、コミュニオンの絆を深めることと実感しています。
鈴木先生の「3年はひとつの区切り」というお言葉が今思い出されています。1つの区切りを迎え、次はどんな人生が展開するのかしら、と微かな緊張のうちにもワクワクしながら、今晩もグレールメールをつけたいと思います。
グレールメールを続けて、二年半になります。
提出〆切の25日前にばたばたと、1ヶ月にあったことを振り返りながら提出しているので、グレールメールで範としている姿と少し違っているかと思います。
それでも一月一月書き続けることにより次第にわかってくること、色々な出来事や出会いにより感じ学んできたこと、出来事の渦中にいたときには不条理だと思っていたことも今考えると恵みにも思えること、いっぱい経験してきました。
曲がりなりにも書き続けて蓄積が、人間としての幅を大きくし幸せを感じ取るセンサーをより繊細にしてきた様な感じがします。
繰り返し繰り返し同じテーマについて書き続けることは、幸せは社会や他人の尺度ではなく自分の尺度で判断し評価することを体得し、幸せなることの決心を日々積み重ねている作業であったと、今はそのように感じます。
相手の反応によって自分の感情が左右されないちょっとした覚悟、自分で自分のことを大切にし、認めるという姿勢がなんとなく身についてきました。
先人の言う通り、“継続は力なり”ですね。じたばたしながら今後も続けていきます。
1.3年続けて本当に良かったと思います。それなりに気を使い、日々書き忘れないように努力もしましたが、やり続けられたことに、やればできるという自信もつきました。もちろんこれからも続けます。ちょうど毎日ご飯を食べるように、当たり前のこととしておけば、いつの間にか栄養が取れて健康が維持できます。
2.ソニア・リュボミアスキーという米国のポジティブ心理学の専門家が、グレールメールと同じことをした人たちの効果を科学的に証明しています。そうだと思います。
3.続けるために、時々何かを変えてマンネリにならないよう工夫をしています。丁寧に1ヶ月の記録を表にして振り返りをする時もあるし、仕事面、家庭面、趣味などと分類して書いて見ることもあります。人間関係に絞ってみると関係改善に繋がります。本当に偶然としか思えないようなラッキーな計らいについては、忘れてしまいやすいので、丁寧に記録します。ノートを変えたり携帯に音声入力でやって見たりもします。
4.グレールメールグループ活動
毎月1回やっていますが、中々集まりません。でも二人になってもやっています。まず鈴木秀子先生の瞑想テープを聞いて、落ち着いた雰囲気にします。一人ずつ発表して、OKメッセーを伝えます。自分自分が「掛け替えのない大切な存在」であることを本気で確認します。一人ずつ話を聞く時間は、アクティブ・リスニングの練習時間でもあるし、コーチングの練習でもあります。エニアグラムを勉強しておくといいということにも気がつきます。
5.グレールメールグループ活動の意義
集まった人でやれる時やります。みんな忙しいから無理はしないようにしています。個人的なことや気持も自然に話すようになるので仲間意識が普通の付き合いより強くなります。心の繋がりが出来て、分かってくれる人がいると実感できます。一人でとじこもることがなくなってオープンになり、支え合う仲間がいると思えるようになります。私にとってなくてはならない人達です。
グレールメールの感想を、簡単に述べさせていただきます。
まず、自分の生活を記録し、それを信頼できる人にチェックしてもらい、反応があることから本人と直接やり取りができました。
そのことは、引っ越しをして間もない自分にとって、安心を生む行為であり、また、何かに守られている感覚を感じることができました。
個人的な内容に関してですが。
当方、精神病を患っており、精神病の薬を飲まずに治したい、と、考えておりました。
そのことを、肯定していただき、その文を赤字にしていただけました。
そのことについて、個人的に意見があります。
精神病の患者に必要なのは、精神的な豊かさです。
統合失調症という病気ですが、ある本によれば、宗教の指導者が、地域毎に居て、その方が治療に向けて、人間関係の調整、指導をすると書かれておりました。
私が居住する地域では、お寺のご住職がそのような機能を果たせておりません。
もろもろの理由があって、そうなっているのですが、投薬の副作用は強烈なものがあり、それによる精神的苦痛や、肉体的な損傷のリスクは、高いものがあると思います。
最近のニュースによると、新たにsnepというカテゴリーを創設し、同じように精神薬による治療の準備が進められているということですが、これは行き着くところまで来てしまった感があります。
若者を一人前にまで育てる機能の脆弱さを止めるには、経済的な施策だけでは、足りないと思います。宗教界と、政界による、新たな仕組みづくりを願うところです。
もう一つ、これはアイディアなのですが。
統合失調症者、てんかん者は、車の運転免許をとりあげるということですが。
個人的には、時速15km位の軽量の車両に乗っても良いのではないかと感じています。
地方居住者が車に乗れなくなってしまっては、孤立を増すばかりです。
そのアイディアが実現されるかどうかは分かりませんが、やはり実現されるにしても、精神的に長じた人物の存在が不可欠だと思います。
以上です。
また、参加させていただくことがありましたら、よろしくお願いいたします。
震災に被害に逢われた方々を、お慰み申し上げます。
グレールメールで自分の良い面に意識を向けることが
できるようになってきていると思います。
それは良いことを認識する機会が生活の中で増えたからだと思います。
まず、1日の良かったことを思い出しノートに書きます。
10個書き出すのは難しいこともあるので、
天気がよかった、電車で座れた…
今まで見過ごしていた事を改めて
良かった事として捉えることができるようになっています。
そして月に一度、前月のまとめをメールにまとめ鈴木先生に送ります。
その時にはその1か月の中で良かったことをさらに思い出し文章にまとめます。
月末には鈴木先生からメッセージと
先生が私のメールを読んで良いと思われたところを
赤文字にして返信してくださいます。
さらに
グレールメール会で1か月の間にあった良かったことについてわかちあいをします。
自分で良かったことを話すことでもう一度自分の中で再確認できます。
そして、皆さんからフィードバックをいただくことで肯定してもらえます。
自分の中で良いことを認める回数が自然と増えているのだと思います。
私自身がグレールメールを続けることができているのは
グレールメール会があることが大きいと思います。
一緒にやっている方がいて後押ししてくださるからです。
皆さんのお話を聞きながら良い方向に意識を向け
輝かれていることを感じます。
そして、私もそうなっていければいいなと思わせていただけます。
私一人では続かないことも多くの方々に支えられて続けることができています。
ありがとうございます。
今後も感謝しつつ続けていきたいと思います。
石の上にも3年と言うが、さらに半年が過ぎた。継続は力なり。
毎日、就寝前に、一日を振りかえりながら、起こったこと、もたらされたことの意味と価値を「良かったこと」「学んだこと」「意味があったこと」「恩寵、はからい」などと書きつづけてきたことが今、自分の中に大きな力となっていることを実感している。
以前は、何かと、他と比較、批評、批判などして、不平不満を沢山、口にし、態度に表出させていた。書き続けて行くうちに、すべての問題は自分の中に存在している、大切なことは、他との関係ではなく、自分自身の問題であると気づかされた。今は、できれば問題は起きて欲しくはないが、起きたことは必然であり、それはそれとして受け入れ、グレールメールを書くことで、静かに見つめることができるようになった。あらゆる存在、事象は恵みであり、私を成長させてくれると思えるようになり、感謝の念が自然とわいてくるようになった。
昨春、わが身に起こった、青天の霹靂の出来事も、思ったほど動揺することなく、しっかりと感じ続けることで、不安や怖れに囚われることなく、静かに見つめ、在るがままに対応することができた。今は。むしろ、その事から、多くの方の祈りや支えをいただき、エネルギーに満ち、一歩前進していることを実感している。
途中、グレールメールを、何度かやめようと思った時もあったが、先生のメッセージや赤字のエネルギーに励まされて、続けてきたお蔭、本当によかったと感じている。
ひるがえり、すべては自分が選択し、決めてきたこと、これからも執着することなく、書き続けることで、自分のなかの眠り、埋もれている沢山の原石に気づき、いたわり、やさしく、愛してゆけば必ず、光り輝く宝石になると確信している。
すばらしい気づきを与えてくれるグレールメールに出逢えたことは幸せです。こころより感謝申し上げます。
この機会に、先生に提出した3年間のグレールメールをすべて読み返してみました。
最も印象深いことは、私が今置かれている環境の中で、どんなことに大宇宙の恵みを感じ、心から感謝の気持ちを表しているかということが、とてもはっきりとつかめてたことです。
まず、いろいろなことが好循環になって、直感やひらめきがさえて、良いことが多くなってきています。
特に、家族の一人ひとりをあるがままに見つめ、優しく温かく見守っていて、私が家族をどんなに大切にし愛しているか、ということに気づきました。
また、この世を去った親しかった友人たち、叔父さん叔母さん、そして長年可愛がっていた猫など、別れのつらさの中、あらためて生と死について考えさせられました。先生の教えである生命は永遠であるということを、信じて冥福を祈り続ける中で、別れの悲しみが癒されることも感じ、大宇宙の恵みに心から感謝しました。
このように、振り返ってみたとき、今私の心が平安で穏やかな気持ちでいることが多くなったなと感じております。周りの出来事には、辛い苦しいこともいろいろとありますが、その一つひとつに何か意味があるのではないかと、考えていると、大宇宙から直感やひらめきで何かを教えてくれます。
また、コミュニオンの仲間と分かち合いをする中で、皆さんが素直に心を開いて、お話をしてくれる姿から、とてもエネルギーをいただけて、感動している自分がいます。お互いに助け合い支えあっていることを体験している瞬間です。
これこそ、コミュニオンの心の奥深くでお互いにひとつにつながっている、とても幸せな瞬間で、その恵みに心から感謝し続けています。
このようにグレールメールを続けるお陰で、先生から教えていただいたコミュニオンの学びが、日常生活の中で生かされていて、自分も幸せになり、周りも幸せになっていく、愛と幸せの発信地となっている自分を見つけ、その幸せに心から感謝しております。ありがとうございました。
2年半のグレールメールを読み返し、陰と陽はバランスがとれていて辛い事と同じ位受けている恩恵も沢山注がれていた事を改めて感じます。
私にとって大切な楽しみ喜び感謝すべき小さな事は毎日の暮らしの中に存在しています。その事に気付けなかった間は、無理をして頑張ってグレールメールを書いていました。書けない日もありました。続けると次第に「下を向いて歩いていた自分が上を向いて歩き」「両親の人生を私なりに理解し、父母の優しさを思い出し感謝でき」「宇宙に感謝し」「神さまを信じ」「自分の弱さ素晴らしさを愛し」「自分で自分を支持する」ようになり「幸せ発信地」の意味を心頭体で感じる事が出来ました。
私にとって大切な事もシンプルだという事も分かりました。人との時々のつながり、 自然、家族、家事料理、今の職場。今では生活の中のささやかな1つ1つが私の心に幸せを感じさせてくれます。そうして穏やかな内面の時が多くなると、辛い事の中に自分にとって大切な気づきを得る事も出来るようになって来ました。
先生からのメッセージはどれも私の心の支えです。最近は時々時間の概念が消え、時は波上の点=この瞬間が「点」だと思う時があります。その点を愛を選んでいるか楽しんでいるかと自分に問いかけると忙しい疲れた面倒だとの感覚が消え去ります。その点がどこへつながっていくのか分からないけれど点を温かく灯して明るい時間を歩きたい。
グレールメールの継続で感謝と自立が育ちました。自然体で、私にもあなたにも喜んでもらえるような私らしさを生かせるように、私が私をグレールメールで幸せにします。
2年半の全てに感謝を込めて。
私はバレエレッスンに日々励んでいます。心地良い音楽でリズムに体が合った時は、心の中に爽やかな風が吹き抜けます。それは体の喜びなのです。又自然の季節の移り変わりに、星、月、花の宇宙の美しさとの出会いがあります。喜びや悲しみ、苦しみを宇宙や自然に、気持ちを重ね合わせて俳句を楽しんでいます。そうすることで宇宙と私は一つだと感じ見えないものが見える気づきが沢山あります。バレエと俳句の共通点は表現すること、そして研ぎ澄ましていくことです。グレールメールは見える世界を通して、見えない世界を見ます。私が思い込みや囚われで悶々としていた時、実はその奥には、“愛し愛されたい”との思いが沸々と湧いていたのでした。ネガティブの感情から解放され、自分の心に整理がついてきてどんどんポジティブになってきていきます。
毎月の鈴木先生のコメントには力強い気づきと心に調和をもたらしてくれます。
私の俳句をご紹介します。
『ピアノ音に 五体繋がり 春調べ』 春
バレエのレッスンをしていると、ピアノ音に始めは体がバラバラであったが、五体が繋がり合った時の心地良さは、春の小川が流れるような気持ちだったのです。
『神の恵みに 生かされて 泳ぐなり』 夏
私は自分の力で生きていると思っていましたが、神様や兄弟、友達、コミュニオン仲間によって支えられ、私は恵みの中を泳いでいたのでした。
『無いものでなく 在るを観て 秋遍路』 秋
無いものだけに焦点を合わせがちですが、在るを観ることで人生がより楽しむことができるようになりました。在るを観れば、そこは広大な大宇宙の恵みそのものでした。
『鬼は外 亡き父のまく 声優し』 冬
小さいころは怖い父でしたが、無意識の中に優しい父の思いは、実は一杯あったのです。
この福島県郡山市において 昨年11月 第一回日本ポジティブサイコロジー医学会が開かれました。
福島県民を、そして日本を元気づけるため、あさかホスピタルの50周年事業の一つとして日本ポジティブサイコロジー医学会が協力してできたものです。ここでは「ポジティブ」を福島から発信して、幸せと健康の関係を模索していこうとしています。
ポジティブに考えることができる人は、人生を楽しく生きることができるだけでなく、健康で長生きすることが、最近の研究でだんだんわかってきています。
グレールメールを続けることは、それにふさわしい一つであると信じます。
その気づきは、心の中に穏やかな、安心感のようなものが自然に起こり、今ここにリラックスして在る事をもたらしてくれるようです。読み返し振り返る事を重ねる度に、その実感は深まっていくように感じます。
私も年々歳々に心身ともに変化し、周囲も変化しています。この3年間を振り返って、私の身に起こった思いも寄らぬ出来事に、怯み、立ち止まり、どうしたものかと不安になる心境もありました。それが、今回グレールメールを振り返りながら、それらの心境も自然な反応の一つと受け止めることも出来たり、良く見れば思い込みから怖がっていたり、怒っていたり、大事な事を失ってしまうのではないかと、心配していたんだなぁということにも気づかされました。それで良かったんだという思いを深くしてくれました。そしてこのグレールメール記録は自分の宝になりました。
また、外界の出来事や自分の身体に対する、自分自身の身体の感覚を心から大事にしようという思いが育ってきた事が、これからの更なる楽しみを私に与えてくれたようで嬉しいです。そして、家族や親しき人が私にとってどれだけ支えになってくださっていたのか、感謝の念が自然に育ってきたことも嬉しい事の一つです。
グループのわかちあいは、つながりをさらに実感すると共に、沢山の気づきを私にもたらしてくれます。本当に良かったなぁと思います。この場も宝です。
グレールメールという機会を作ってくださった鈴木先生に感謝申し上げます。